劇団四季に7年間在籍し、ミュージカル「ライオンキング」でヒロインのナラ役を演じた田村圭さんは、現在、生まれ育った東京を離れ、福島県に移住して地域の方にダンスの楽しさを教えています。パフォーマンスする側から指導者への転身は一見、順風満帆に見えますが、「今まで何度も挫折を味わってきた」と話す田村さん。幼少期から始めたバレエから、劇団四季の在籍中に学んだことについて伺いました。
幼少期からバレエ一筋の生活
── 田村さんは3歳からバレエを始めたそうですね。
田村さん:
私は、4342グラムと大きく生まれました。今では体質が変わりましたが、小さい頃はすごくおデブちゃんで。母は、バレエをさせたら変わるかもしれないと思ったみたいです。
体型に関してコンプレックスを抱くようになったのは、物心がつきはじめた5歳ごろ。バレエでつく役が、うさぎや蝶じゃなくて、ちょっと体型が大きな子がするバンビで。衣装も茶色であまり可愛くないと思っていました。
── それでもバレエを続けてきたのはなぜですか。
田村さん:
踊ることが大好きだったのと、私が習っていたバレエ教室は公演も多く、大人と一緒に舞台に立つというのが当たり前の環境で。この世界で生きていきたいというビジョンが自然とできていました。
でも高校生のときは人生でいちばん太っていて。「プロバレリーナになるというのは難しいかもしれない」とも思い始めていました。今の時代はそこまででないかもしれませんが、私たちの時代は「痩せているのが美」という風潮がありました。
── 差し支えなければ、どのくらいの体重だったのか教えていただけますか。
田村さん:
私は当時、身長が165センチあって、体重が60キロ近くになってしまったときはもうレッスンに行きたくなくて。自分の身長では46〜47キロくらいがベスト体重で、50キロを超えたら何たることや!という世界です。男性が持ち上げるリフトもあるので、当時の男性ダンサーにはどれだけ迷惑をかけたかと思います。
高校卒業後は、師匠のもとでアシスタント講師などをしながら、公演メンバーにも入っていました。そのまま続けていこうと思ったのですが、ダイエットが行き過ぎて摂食障害を起こしてしまい、体重は40キロをきっていました。
── コンプレックスだった体重をどうにかしようと思ったんですね。その後はどうしたのですか。
田村さん:
好きでバレエをしていてこの道で生きていきたいと思っているのに、心と体がついてこなくなってしまって。このまま続けていたら壊れそうだなと思い、24歳のときにバレエ人生をストップさせました。
学生時代も部活には入らず、学校が終わったらすぐバレエ教室に行って、年に3回の公演をして…。本当にバレエに没頭する日々でした。バレエがない生活は、人生が一度終わってしまったような感覚で。同世代の友達との思い出もかなり少ないと思います。
バレエを離れてからは、ほかに熱中できることもなくバイトばかりしていました。それを見かねた先輩から、「海外にでも行ってみたら」と言われたんです。このままの生活が嫌だったこともあって、思いきってニューヨークに行くことにしました。