劇団四季入団も「猛練習の日々」
──これまでバレエやダンスのご経験はありますが、ミュージカルには演技や歌も必要になりますよね。どうやって習得したのですか。
田村さん:
歌やお芝居は入団後に必死に学びました。研修生のように手ほどきを受ける時間はありません。舞台に出ていない時は朝からバレエ、午後はジャズダンスなどのレッスン、その後に呼吸やセリフの練習をして、夕方からは個室で猛練習をするという感じです。深夜まで練習していました。
── 変わらずミュージカル「ライオンキング」への出演を目指していたのですか。
田村さん:
それが、入ったらそれどころではなかったんです。まず目の前のことをひとつずつクリアしていくことで必死でした。だんだんとオーディションに呼ばれることも増えてきたのですが、舞台稽古に入れてもらっても演出の浅利先生から「あなたはまだだな」と言われて。
それでも食らいついていこうとする私を、浅利先生はいつも見ていてくれていたと思います。その後もたくさんのチャンスを与えてくださり、その期待になんとしても応えたいと練習に励みました。
チャンスをものにできない時期もありましたが、それでもしがみついて、ダンスをメインにした役などをいただきながら続けていました。「ライオンキング」のナラ役にキャスティングされたのは28歳のときでした。
── 念願が叶ったわけですね!
田村さん:
もがきながらやってきたけど「ようやく辿り着いた」という嬉しさとともに、怖さもありました。舞台に立ったあとで、一度落とされたこともあるのですが、主役であってもアンサンブルであっても、その規格に見合っていなければすぐに落とされて他の方が出ます。
私のように鍛錬し直すということは普通にあって、「一音落とすものは、去れ!」という世界です。小さい「つ」が抜けてもいけません。大きい役になればなるほど、厳しい目にさらされていきます。
── 役をいただけたからといって、「めでたしめでたし」ではない。厳しい世界ですね。
田村さん:
神経が擦りきれちゃいますよね。でも劇団四季は作品ありきで、その作品を伝えられる人が俳優として認められます。「慣れだれ崩れ=去れ」という標語があるのですが、出られたと思っても、人間は慣れ、だれるものだから、常に己を戒めておけという意味です。
劇団四季で学んだことは人間のベースと同じだと思うんです。今、ダンスを教えている子どもたちにも、挨拶などの基本がないとダンスがいくら上達しても踊りにはその人の人間性が如実に表れるということ、ダンスの基礎がなければいつかもろく崩れてしまうということ。そしてそれを常に心にとどめていてほしい想いで、土台づくりについては口すっぱく言っています。
3歳から始めたバレエで舞台に立つ厳しさは知っていましたが、今もこうして好きなことを仕事にしている私にとって、好きなことでお金を頂く“仕事”という自覚を持つようになったのは劇団四季に入団してからです。
決して慣れさせないよう戒めながら、常に自分自身をアップデートするよう気をつけています。人間としての多くのことを学べる環境で、本当にありがたかったと思っています。
PROFILE 田村圭さん
クラシックバレエを多胡寿伯子に師事。N.Yへの短期留学でジャズダンスなど様々なダンスジャンルを学び、帰国後、劇団四季に所属。主な出演作品は「ライオンキング」ナラ役、「ユタと不思議な仲間たち」モンゼ役、「エクウス」ジル役など。退団後はバレエ・ジャズダンス講師として、3歳から大人への指導、ミュージカル作品の振付指導など幅広く活動。2021年福島県白河市へ移住し、活動をスタート。ACHATES Tamura Dance Studio 主宰。
取材・文/内橋明日香 写真提供/田村圭