自宅療養中に被害妄想が膨らんで…

丸岡いずみ
「一線を超えた、と思いました」

── 療養に入るときはどんな心境でしたか?

 

丸岡さん:「まさか自分がうつになるなんて…」と思いましたね。今までいろいろな取材を通して、うつ病の方にお話を聞いたり、うつ病に関する情報もあったつもりです。でも、自分は大丈夫と、どこかで思っていたのでしょう。

 

しかし、明らかにいつもの自分とは違う、これは休まないと大変なことになる。そう思って腹を括りました。完全休業しようと決めたんです。

 

── 休養期間は徳島の実家でしばらくのあいだ過ごされていたのですよね。

 

丸岡さん:父も母も、かなり心配していました。ただ、ラッキーなことに父が産業カウンセラーの資格取得を目指して勉強中で、メンタルに関して知識があったんです。母も明るく前向きで、私を変に気づかうこともなく助かりました。

 

たとえば、ドライヤーで髪を乾かしているとき。髪の毛が数本抜けただけで「私、ハゲるかも!」と心配したんです。でも母は、「まだ髪の毛はいっぱいあるからハゲないでしょ」って返してくるんですよ(笑)。両親ともに、過剰に深刻になって騒ぐようなタイプじゃなかったのはありがたかったです。

 

── ただ、ときには被害妄想も膨らんでしまうこともあったとか。

 

丸岡さん:母が作ってくれた料理に「ヒ素を盛られた」と妄想したこともありました。仕事でヒ素事件を取材したこともあって、一時的に味覚がおかしかったとき、そんな妄想をしてしまったようです。

 

母は、気丈に振る舞っていましたけど、やっぱりその発言にはかなり応えたみたいです。

 

── 療養中、週刊誌に写真を撮られたこともあったそうですね。

 

丸岡さん:正直、とても傷つきました。私はうつになっているわけだから、やっぱり誰にもそういう姿を見られたくなかった。ましてや、おもしろおかしく書いてほしくもなかったです。

 

週刊誌の記者の方の立場もわからなくないです。キャスターをやっている丸岡がうつになった。そんな写真を撮って記事にしたらそれはそれでお仕事として成立するわけですから。だから彼らの立場を考えればその気持ちはわからなくもないんです。

 

でも、やっとの思いで徳島に戻ってきたのに、「このままだと消耗して、生きていくのが辛くなってしまうかも」とまで感じたのは確かです。

 

ただ、うつ病から復活して別の取材を受けた際に丁寧に謝罪をしていただき、恐縮しました。