「元気で明るくて、体育会系だった私が、まさかうつになるなんて…」と語るのは、フリーキャスターの丸岡いずみさん。取材を通してうつ病の知識も情報もあったという丸岡さんですが、『news every.』で活躍中の2011年にうつ病を発症しました。徳島の自宅療養を経て復帰されるまでのお話を聞きました。

ちょっとした不調が続いた先

── 丸岡さんは、2011年にうつ病を発症されてから、約10年経ちました。

 

丸岡さん:振り返ってみれば、なるべくしてなったんだろうなと思います。

 

── 仕事のストレスでしょうか?

 

丸岡さん:当時は働き方が自分のキャパシティを超えていたと思います。

 

東日本大地震は、1000年に一度と言われるくらい大きな地震だったので、キャスターとしては現場に行かないという選択肢はもちろん無かった。ただ、すぐ準備して現場に向かうも、太平洋側からだと危ないと言われて、日本海側から入りました。

 

自衛隊の護衛艦に密着取材させてもらい、ご遺体の引き揚げ作業にも立ち会いました。それまで、警視庁捜査1課の記者として現場に駆けつけたり、過酷な取材はたくさんしてきましたが、それでも想像を絶する光景を目にして。

 

東日本大震災の直前の2月にはニュージーランドで起きた地震の取材に行ったり、震災後の4月にはイギリスでウイリアム王子の結婚式に取材に行ったり…。当時は、大きな取材が重なり多忙を極めていたと思います。

お腹が空かない、眠れない

丸岡いずみ
「かなり多忙を極めていました」

── 震災があったときは『news every.』(日本テレビ系)でも活躍中でした。休業を決めたのは、どんなタイミングだったのでしょうか?

 

丸岡さん:震災があって、しばらくの間は多忙ながらも穏やかに仕事をしていたと思っていました。でも、初夏になる頃にダルさを引きずったり、「ちょっとした不調」が幾度ともなく起きるようになって。次第に、よく眠れない。今日もお腹が空かない。本来の私とは、何かが違っていました。

 

その後、どんどん体調が悪くなって、心も体も悲鳴をあげていったんです。

 

病院を受診して睡眠薬を処方してもらいましたが「薬が効きすぎて起きられなくなったら…」と不安になって、薬も飲めませんでした。

 

でも、番組で代表選挙の状況を秒刻みでリポートしている最中に言葉がうまく出てこないことがあったんです。ニュース原稿の山や川といったような簡単な漢字すらふりがなを振らないと怖くて読めない。そんな状況に陥って「あ、私、一線を越えた」と思いましたね。

 

放送終了後に上司に「休みが欲しい!」と伝え、翌日、急きょ実家のある徳島に戻る決断をしました。