孤独から救ってくれた恩師の助言

── それでも結局、病院は辞めたんですよね。

 

こど看さん:
そうです。辞めて1か月くらいは無敵感がすごかったですね。「仕事辞めた、よっしゃ!」「休み30連休!」といった感じでゲームざんまいでした。

 

2か月目くらいからお金の心配や不安モードに入って、とにかくお酒ばかり飲むようになりました。外から帰ってきて冷蔵庫にお酒がないと不安で、依存に近い状態でしたね。

 

── どれくらい飲んでいましたか?

 

こど看さん:
1日に500ml缶を4缶は空け、1週間にお酒の空き缶でゴミ袋2袋になるのは当たり前でした。生活もぐちゃぐちゃで、夜9時からオンラインゲームを始めて、朝6時に寝て、夕方くらいに起きてお酒を飲みながらゲームの準備…といった日々。

 

画像はイメージです

3か月目くらいから「もうまずいな」「どうにかしなきゃ」「誰かと話さないと」と思うようになり、大学の恩師が「何かあったらいつでもおいで」と言ってくれていたのを思い出して行ってみたんです。

 

「多分、君は適応障害だから、適応障害の人の話を聞くのは向いているんだと思う」「患者さんとじっくり話せないことで悩んでいるのであれば、その悩みを強みとして生かせる精神科の分野はどう?」と、精神病院を紹介してもらい、状況は一変しました。

中学生の「次いつ来る?」が転機に

── 新しい病院は、どんなところでしたか?

 

こど看さん:
今勤めている精神病院の、ひとつ前の勤務先になります。そこは幻覚やせん妄で混乱している方や、うつ病、摂食障害などの症状がある方が入院する精神病院。中学生から大人の方がメインでした。

 

── 新しい職場で、大きな転機があったとか。

 

こど看さん:
復帰して1、2か月の頃、担当した中学生の女の子がいたんです。摂食障害や適応障害のような症状で入院した子なんですが、当時の僕は「(前の病院を)1年で辞めてしまうような存在だから、もう看護師としてはやっていけない」「ちょっとでもお手伝いができれば」と、めちゃくちゃ自己評価が低い状態で仕事をしていたんですね。

 

その女の子と話すようになって2週間が過ぎた頃、彼女が帰り際に「次いつ来るの?」と聞いてくれたんですよ。

 

そのときに衝撃が走ったんです。

 

僕みたいなのを、いつ来るのか気にしてくれているのかなって。これまで社会に必要とされていないと思っていたけれど、必要としてくれる人はいる。そこで目が覚めました。この子や、もちろん他の患者さんたちのために仕事に真剣に向き合っていこうと思うようになりました。

 

患者さんたちと真剣に接していくなかで、「自分なんて」は徐々になくなっていき、自分が持っているもので、相手に何を提供できるのかと考えるようになりました。