世界初の漢方を配合したクラフトコーラメーカーとして、東京の下落合に工房・店舗を構え、全国の成城石井やクイーンズ伊勢丹、DEAN&DELUCAなどでも取り扱いをしている「伊良(いよし)コーラ」。今回は、伊良コーラ代表でコーラ職人のコーラ小林さんに、クラフトコーラにかける熱い想いを伺いました。

祖父の思い出話がコーラ誕生のヒントに

── 今はまさにコーラが飲みたくなる季節ですね!北海道大学農学部、東京大学大学院生命科学研究科卒業という華々しい経歴を持つコーラ小林さんですが、なぜコーラ職人に?

 

コーラ小林さん:
広告代理店で働いていた会社員時代に、100年以上前のコーラのレシピを偶然ネットで見つけたんです。もともと世界中のコーラを飲み歩くほどコーラが大好きだったので、とてもワクワクしましたね。

 

学生時代は実験が大好きでしたし、その影響でPCDAサイクルに親しみがありました。原料はシナモンやナツメグなど簡単に手に入るものだったので、すぐに材料を買ってきて作り始めたのがきっかけです。

 

── 大好きなコーラを自分で作ってしまおうと。

 

コーラ小林さん:
スパイスからカレーを作るのと同じ感覚です。当時は広告代理店で働きながら趣味で土日に100年前のレシピをアレンジしてコーラを作っていました。しかし、10種類以上のスパイスを使っていろいろな抽出方法を試してみましたが、人に飲ませられるレベルまでは到達できなくて、試行錯誤をくり返していましたね。約2年間で1000回くらい作ったと思います。

 

フードトラック「カワセミ号」でコーラを販売するコーラ小林さん (c)伊良コーラ IYOSHI COLA
フードトラック「カワセミ号」でコーラを販売するコーラ小林さん (c)伊良コーラ IYOSHI COLA

── そこからどのように「伊良コーラ」が誕生したのですか?

 

コーラ小林さん:
コーラを作り始めて2年半後、祖父が他界したため遺品整理で実家に戻ったんです。祖父である伊東良太郎は、和漢方職人であり、工房「伊良葯工(いよしやっこう)」を営んでいました。

 

そこで残してあった道具や、生前の祖父の想い出話を聞いているうちに、漢方の製法がコーラ作りに生かせるのではないかと思い試してみたところ、格段に味が良くなったんです。自分のなかで大きく殻が破れた瞬間でした。

 

そこからさらに改良を重ね、2018年7月にフードトラック「カワセミ号」で、東京・青山のファーマーズマーケットで移動販売を始めたんです。屋号は尊敬する祖父の工房から引き継ぎ、その後、足掛け4年勤めた会社を辞めて2019年1月に法人化しました。