ドラマなどで活動の幅を広げていた女優の奈津子さんはSDN48のメンバーとしてアイドル活動をするも、突然グループが解散。仕事が減っていくなかで自分を見つめ直し「家電女優」となった理由や、母子家庭で育って身についたという金銭感覚についても話を伺いました。
「歌詞が撮影当日に間に合わない」多忙だったSDN48時代
──「家電女優」として現在、どんな活動をしているのでしょうか。
奈津子さん:
テレビやラジオ、雑誌などで家電の魅力を発信しています。最近は女性誌でライフスタイルやキャリアについて聞かれることも増えてきました。また、ライターとして家電のレビューや開発者への取材を記事として執筆することも多いです。
──芸能界に入ったのはいつ頃でしたか。
奈津子さん:
スカウトされて15歳から女優として活動していました。一卵性の双子の妹と一緒に活動していたので、双子役も多かったです。その後、20歳からSDN48でアイドルとして活動をして、グループ解散後にまた女優に戻って現在に至ります。
──SDN48の活動経験がありますが、アイドルになるのは夢だったのですか。
奈津子さん:
昔から印象に残る声だと周りから言ってもらうことが多くて、アイドルというより「いつか歌手もやってみたい」とぼんやり思っていました。
ちょうど最初に入った事務所を辞めて、これからどうしようと思っていた矢先に、お世話になっているメイクさんから「SDN48のオーディションがあるから受けてみたら」と教えてもらって受けました。
──歌って踊って、アイドルにはこれまでの女優業とはまた違った能力が求められますが、それまでダンスなどの経験はありましたか。
奈津子さん:
いえ、ほとんどなかったです。オン・ザ・ジョブ・トレーニングで、歌もダンスもほぼ未経験のなか、活動していく中で習得していきます。AKB劇場での公演は曲の振り付けも決まっているので、それをメンバーからメンバーに教えていく形で。プロの振り付け師さんにきていただくこともありましたが、基本的に基礎は自分たちで頑張ってねという感じでメンバー間で助け合っていました。
でも私が入った頃は48グループが全盛期で、大きな船に乗れた感じがありましたし、培ってきた演技力がパフォーマンスにも活かせたのは大きな発見でした。これまでの女優活動が評価されて、ミュージックビデオで主要な役で芝居をさせてもらえたのは嬉しかったです。
──グループでの活動を通じてどんなことを学びましたか。
奈津子さん:
今まで仕事をするときはソロか双子の妹とだったので、組織に入って活動したのは本当に勉強になりました。女性社会の構図とか(笑)。年齢は下の方だったんですけど、芸能界でのキャリアは長かったので先輩はやりにくかったかなと思います。同じ業界内で、違うポジションへ転職した経験がある方にはイメージしてもらいやすいかもしれませんね。
それに、アイドルは無茶振りも多いんです。バラエティ番組でのリアクションはもちろんグループとしても大きくなって忙しいときだったので、ミュージックビデオの撮影当日に歌詞がきたり、間に合わないこともありました。リップって言うんですけど、ハミングなどで「ラララ〜」とそれっぽく歌って撮影しておいて、あとから録音した歌詞を当て込むとか。
衣装も撮影までに間に合っていなくて、横で衣装を縫っているスタッフさんがいるなか、できた人からそれを着て撮影に挑む。瞬発力が鍛えられました。
──人気があって多忙だったからですね。
奈津子さん:
まさにそうです。48グループの黄金期だったので基礎の部分では独学も多かったですが、プロモーションにお金をかけていただいていたのは感じていましたし、貴重な経験をさせていただいたことに関しては秋元康さんと運営に携わってくださった方々にとても感謝しています。