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難病をきっかけに「近すぎる親子関係」から脱却した女性が今伝えたいこと

女性の健康

2021.12.18

芸術家として活動する多田ゆかさんは、22歳で指定難病の潰瘍性大腸炎と診断されてから14年間、激しい下痢と下血に襲われる壮絶な体験をしてきました。

 

多田ゆかさん

 

その一方で、病気を告知されたことが自分らしい生活を手に入れるきっかけになったといいます。どんなふうに苦しい状況を克服したのでしょうか。

難病の宣告「もう頑張らなくていいんだ」と気持ちがラクになった

── 22歳のときに、医師から潰瘍性大腸炎と診断されたそうですね。そのときはどんな気持ちでしたか。

 

多田さん:

「難病です。完治しません」と言われて、絶望しました。その一方で、気持ちがラクになっていくのを覚えたんです。

 

── 気持ちがラクになった?

 

多田さん:

レントゲン写真を見ながら医師の説明を受けたとき、私の母が一緒に話を聞いてくれたのですが、潰瘍だらけで大腸が水玉のようになっていたんですね。母は「難病なんですか?死ぬんですか?」と必死に聞いていました。

 

その隣で安心したというか、「もう頑張らなくていいんだ」と思っていました。普通は「なんで私だけがこんな目に遭うの?」と愕然とするらしいのですが、私はどこかでホッとしていたんです。

 

私は厳しい両親に育てられて、学生時代は何度も「死にたい」と思っていました。子どものころから勉強ばかりしていて、優等生の鏡のような生活をしていたんです。

 

中学時代はテストでどの教科も100点を取るのが当たり前で、高校も良い成績で指定校推薦を受けました。大学は両親に認めてもらえないような学校だったのですが、特待生を望まれたので特待生として首席で入学し、成績はオールA…。学生時代の私はそんな子でした。

 

身体を痛めつけている感覚もありました。食事も栄養面などまったく気にせず、まるでエサを食べているようだったし、睡眠時間も短かった。高校時代には髪の毛が薄くなり、医師から「過労です」と言われるほど勉強漬けの日々でした。

 

大学卒業後は学生時代につき合っていた夫と結婚しました。早く家から逃げたい一心で…。でも私はいい子ちゃんだったので、結婚後も両親から監視されているような感覚が拭えなかった。両親からすれば心配でたまらなかったんだと思います。親との共依存の自覚もありました。

 

多田ゆかさん

「私はアダルトチルドレンだ。間違いない」

── 両親との距離が近すぎた関係から、潰瘍性大腸炎と診断されたことで多田さんの気持ちに変化が表れ始めたのですね。

 

多田さん:

はい。23歳で3か月入院したときに、気づいたんです。4人部屋にいたのですが、私はいつの間にかその部屋でいちばん古い主のような存在になっていました。

 

早く退院していく人は、「家に帰りたい」と、長くても2週間ほどで退院します。逆に1か月以上入院している人は、家族の悪口ばかりこぼしているような気がして…。同じ病室の人たちを観察していたら、長い期間入院する人は、家庭に何か問題があるんじゃないかと思うようになりました。ということは、いちばん入院期間が長い私は、いちばん家庭に問題があるに違いない。そう思って、自分と向き合い始めたんです。

 

それまでは、「お母さんが好きなものは私も好き」「お母さんが嫌いなものは私も嫌い」という、自分がまったくない、お人形のような子どもでした。小学校高学年になっても、病院で診察で母が私の代わりに病状を説明をしていたことをよく覚えています。医師に「お母さん、黙っていてください。お嬢さんに聞いているんです」と注意されたくらい。

 

入院中は時間がたっぷりあったので、興味のあった心理学の本を100冊以上読んだのですが、そのとき「私はアダルトチルドレンだ。間違いない」と確信しました。

 

そうしたら、両親や社会に対して、「私の人生を返して!」という怒りや恨みの感情が一気に噴き出して。「なんでこんな家に生まれたんだろう!」「私は教育虐待を受けていた」「愛されて育っていない」と、たまっていた思いをすべて吐き出していきました。

 

心の膿を出しきったとき、「そうじゃない。ほしかった愛情ともらった愛情が違うだけなんだ。両親は両親なりに私を愛してくれていた」と思えるようになったんです。そのうち、怒りを手放すことができて、両親のことも自分のことも許せるようになりました。本当にラクな気持ちになれて、穏やかにものごとを考えられるようになりました。

 

14年経って症状が軽減したあと、生きる喜びを伝えたいと今の活動を始めたときには、両親から「そんなはしたないことはやめなさい」と反対されたのですが、「もう放っておいて!」と初めて面と向かって反抗しました。今は両親とも仲が良いし、育ててくれたことに「ありがとう」と感謝しています。

 

多田ゆかさん

自分自身との対話が闘病生活を支えた

── ご両親の愛情を無理のない形で受け入れられるようになったのですね。

 

多田さん:

はい。今、思うと大腸が病気になったことは、心身のどこかがバランスを崩しているサインだったのかもしれません。薬では治すことが難しい心の根っこの部分です。自分のなかで何が問題になっているのか、自分自身と対話して知ろうとすることが大事だと思います。

 

自分では意識していないかもしれないけれど、もしかしたら自分に向いていないことを我慢して続けているかもしれません。誰かとの関係に問題を抱えているかも。

 

治療をきちんと受けることがもちろん重要ですが、自分の心身を大切に思う気持ちも大きな力になるのではないでしょうか。

 

多田ゆかさん

自分を知って、生きることが面白くなった

── 結局手術を受けずに済んだそうで、本当によかったですね。

 

多田さん:

はい。今は治療をしながらアーティストの活動やプライベートで無理をしないように心がけることで、症状が悪化せずに済んでいます。

 

よく病気が改善する秘訣を聞かれるのですが、人によって何がいいかは違うし、いちばん良い方法は、自分を知ることだと思うんです。自分は何をしたいのか、自分にとって本当に大切なものは何かを知ってほしい。それに気づいたら、「病気が治ったら」ではなくて、できることから行動に移してほしいです。

 

── 多田さん自身、闘病中に自分の想いに沿った行動を取ることで、状況が一変したと感じたのですよね。

 

多田さん:

はい。自分を知ることができ、まわりの人や環境に心から感謝することができました。いろいろなつながりを感じることもできて、生きることが面白くなりました。

 

今体調を崩していたり、しんどい思いを抱えているなら、自分自身に「本当は何をしたい?本当はどう生きたい?」と優しく問いかけてみてほしいです。私も最初はわからなかったけれど、日々問い続けました。それを繰り返して、やっと「私は暮らしや芸術を楽しんだり、美容を気遣いながら生きたいんだ」と気づいたんです。

 

わからないからといって自分にバツを付けるのではなく、きっとわかるようになると信じて聞いてあげてほしい。自分を優しくなでてあげてほしい。自分を知ることができれば、温かい安心感が生まれます。それが病気の症状が軽減するきっかけのひとつになるかもしれないと思っています。

 

PROFILE 多田ゆかさん(Yutan)

1978年生まれ 兵庫県出身。22歳のときに指定難病「潰瘍性大腸炎」を患い、14年間の闘病生活を送る。現在は、お寺生まれの廃棄ろうそくで創るサステナブルエコアート、絵本などを使って自分らしく豊かに生きる大切さを多くの人に伝えている。著書『自分を整え,暮らしを楽しむ9つのスイッチ』(みらいパブリッシング)

取材・文/高梨真紀 画像提供/多田ゆか  ※上記は、多田ゆかさん個人の経験談・感想です。

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