<2.知っていると自慢できちゃう!百舌鳥・古市古墳群にまつわるトリビア>

では、早速いってみましょう、百舌鳥・古市古墳群にまつわるトリビアです。 ①仁徳天皇陵を今の技術力を使って作っても2年半かかる! 仁徳天皇陵は、前述のとおり、日本で一番大きな古墳です。 これを現代の技術を使って、つまり重機なんかをバンバン入れて作ったら、どれくらいの期間がかかるのかを、大手ゼネコンである大林組がシミュレーションしたことがあるそうです。 結果、重機+一日60人を導入しても、2年半かかるそうで、延べ54,750人は必要なのだそうです。 ちなみに、重機も入れず、当時と同じ状況で作ったとしたら、一日2,000人を導入しても、なんと15年8カ月もかかるそうです。延べ人数は6,707,000人! そんな途方もない人数を動かして墓を作れるなんて、当時の権力者たちの力はすごかったのですね。 ②古墳の形は身分によって変わる! 百舌鳥&古市古墳群には、約50基もの古墳が存在しているのですが、古墳の形で種類を分けると、4種類になります。 1.前方後円墳


円墳と方墳を連結させたような形の古墳で、上から見ると鍵穴のような形をしています。代表的なものが仁徳天皇陵。 2.帆立貝形墳


前方後円墳と形は似ていますが、方墳の前方部を短く縮めたような古墳です。 3.方墳


四角形の古墳です。 4.円墳


丸い形の古墳です。 さて、この4つの形ですが、身分(勢力)の差によって、作っても良いお墓の形が決められていたそうです。 古墳時代というのは、大王を中心とする大和朝廷により、全国が支配されていった時代です。 最初はムラのような小さな単位から始まった集落が、次第に巨大化してクニとなり、クニ同士が争いながら合併し、3世紀後半ごろには大和政権という一つの大国になったと考えられています。 大和政権は大和地方(今の奈良県あたり)にあったのですが、その勢力範囲を表しているのが、古墳の形なのです。 つまり、全国にある古墳は、大和政権により墓づくりのルールが伝えられたことの証しであるというのです。 で、話を元に戻しますが、墓の建設には大和政権の許可が必要だったとされていて、身分(勢力)の低い順に、方墳→円墳→前方後方墳・帆立貝形墳→前方後円墳という順番だったのだそうです。 ちなみに大きさも同順位なので、最も小さいものが方墳、最も大きいものが前方後円墳となります。 ですから前方後円墳の多くは、大王(大和政権の長)とその家族の墓だと言われています。