世界中をフライトするエミレーツ航空のCAから35歳で芸人に転身したCRAZY COCOさん。去年開催された「女芸人No.1決定戦 THE W 2021」に無名ながらエントリーし、準決勝に進出しました。小さい頃から笑いのセンスに長けていた彼女が、実はいちばん笑わせたかった人とは──。芸人になるきっかけや、14歳で経験した家族の死についても話を伺いました。

4回の転職を経て出会った天職

──現在、芸人として活動しているそうですが、これまでの仕事について教えてください。

 

CRAZY COCOさん:

大学卒業後に繊維商社で3年間、バイヤーや商品企画、営業担当として働きました。次にエミレーツ航空に転職し4年半、CAとしてドバイに駐在しました。20191月に帰国し、ビジネスマン向けの英語学習のコンサルタントとして働いたあと、美容商材を売る商社で海外営業をしたのですが、この会社が倒産してしまって。そのあと外国人の就労サポートをする仕事をしてから今に至ります。

 

──商社勤務にCA、コンサルタント。いわゆる「バリキャリ」ですね。

 

CRAZY COCOさん:

そう思われるかもしれないのですが、何か違うなと思ったらすぐ次に行動を移してしまう性格なんです。

4回の転職を経験しているCRAZY COCOさん

 

──芸人に転身したきっかけを教えてください。

 

CRAZY COCOさん:

去年の7月末にコロナ感染し、2週間入院しました。そのとき初めて自分の死について考えました。当時、感染者が今よりも多く、保健所から入院しましょうと連絡があっても受け入れ先の病院が見つからず自宅にいました。

 

その間にも熱は上がるし体の震えは止まらないし…。ちょうど運良く空きが出たタイミングで入院できたのですが、本当にどうなるかわからない状況でした。

 

──入院を勧められたそうですが、症状は重かったのですか。

 

CRAZY COCOさん:

39.5℃の熱が5日間続き、震えや関節痛がひどくありました。咳は出なかったのですが、息苦しさがあり、結構重い方だったと思います。救急隊員の方からは、爪も紫になっていて酸素濃度も低いと言われました。当時もひとり暮らしで、そのときもひとりでしたが、心配をかけると思って友人や大阪に住んでいる母には知らせずに入院しました。

入院中、病室で食事するCRAZY COCOさん

 

熱が下がってから友人に連絡したら、その子の後輩がコロナに感染し、2週間経って亡くなったという話を聞いたんです。その子は27歳くらいで、軽症だったそうなのですが。自分の症状は楽になってきているけど、明日が普通に来ると思って生活していてはいけないし、いつ何があるかわからないから、自分のしたいことをしてから死にたいと思いました。

 

──そこから芸人を目指したのはなぜですか。

 

CRAZY COCOさん:

当時、なんとなく自分の人生を生きていないと思っていました。自分のキャラを押し殺しながら働いていたように思います。入院した頃にしていた、外国人の就労サポートの仕事では、ネガティブなことを吸収することが多くありました。

 

例えば外国人が職場で差別をされていると相談に来て、企業側の話を聞くと実はあの人は無断欠勤が多くて勤務態度に問題があると言われて。私は中立の立場で問題を解決しなくてはならなかったのですが、トラブル解決に奔走するより、ポジティブなことを発信して自分らしく生きたいと思ったんです。

 

病室のベッドに横たわりながら、これまでの人生の中でいちばん自分と向き合ったと思います。小さい頃から芸人になった方がいいよと周りから言われていたのを思い出して。昔からおちゃらけていたので、絶対お笑いした方がいいと言われてきました。

友人の結婚式に出席するCRAZY COCOさん(写真右)

 

友人の結婚式の余興や文化祭で人前に出て、体を使って表現をして人に喜んでもらえることが生き甲斐だったということも思い出しました。人を楽しませるエンターテイナーとして生きていきたいという思いはずっとありました。

CRAZY COCOさんがYouTubeチャンネルで配信しているCAのネタ動画

入院中に見つけた「THE W」のエントリー

──どうやって芸人になったのですか。

 

CRAZY COCOさん:

思ったらすぐ行動したくなる性格なので、「エンターテイナー なり方」「芸人 なり方」と入院中のベッドで検索しました。そこでたまたま「女芸人No.1決定戦 THE W 2021」のエントリーを見つけまして。「これはもう芸人でいけっていうことやな」と思いました。

 

コロナの影響で1回戦は動画審査だったので、撮影を行う必要がありました。退院してからCAネタで動画を撮って、通過しました。700組ほどの応募があったそうで、そこを通った240組が2回戦に進み、実際に会場でネタを披露します。そこも通過して、38組が残る準決勝まで進みました。

 

──事務所や養成所などに入るのではなく、まずエントリーしたのですね。

 

CRAZY COCOさん:

名だたる方もたくさん参加していましたし、NSC(吉本興業が設立した養成所)に在籍していたり、事務所に所属していてマネージャーがいたりする方も多かったです。

 

でも私は、年齢的にもここから10年間下積みをするというのはできないと思いまして。私の強みは、これまでの社会人経験を活かして、目標を明確に持って戦略的に夢を叶えていくことだと。何よりもまず挑戦してみようと思いました。

 

──周りの方の反応はいかがでしたか。

 

CRAZY COCOさん:

友人は、「待ってました!よく決断したね」と言ってくれました。会場にも60人くらい友人が見に来てくれて応援してくれましたし、サポートが心強かったです。

初舞台の会場に駆けつけてくれた友人たちと(写真中央がCRAZY COCOさん)

 

──人徳ですね。

 

CRAZY COCOさん:

本名、人徳の徳と書いて徳子(のりこ)というんですが、父がつけてくれた名前で。本当に周りの方に恵まれていると思います。

 

父は私が2歳の時にALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気になって、14歳のときに亡くなっているのですが、母がひとりで仕事も子育てもしながら父を看病する姿を見てきました。

 

私が物心ついた頃から父は寝たきりでした。何度か容態が悪くなると入院を繰り返して、訪問看護の方やヘルパーさんなども自宅に来ていました。母は大阪の北新地でラウンジを経営していて、一家の大黒柱として家族を支えていました。

仲が良いという母親と(写真右)

「母に笑っていて欲しい」幼少期からの思い

──芸人になると言ったとき、お母さんの反応はいかがでしたか。

 

CRAZY COCOさん:

最初びっくりしていました。でも母は私の性格を誰よりも知ってくれているので「やらな気がすまへんのやったら、やったら。あかんかったら、帰ってきたらええやん」と。

 

母自身も何度か病気を患って自分の死に向き合ってきたこともありますし、父のこともあって人生は一度きりというのを一番理解していたので「後悔しないように、あんたの人生歩みなさい」と背中を押してくれました。

 

私が小さい頃の写真は変顔をしているものばかりで、まともなものがないんです。今思うと、私はずっと母に笑っていて欲しかったんだと思います。こういう環境だけど幸せだよと安心してもらいたくて、常に「ここでおちゃらけたら、お母さん笑うかな」と考えていました。

幼少期のCRAZY COCOさん(写真左)と母親(写真右)

 

人を笑顔にしたいという気持ちが生まれたのも、まずは母を笑顔にしたいというのがあると思います。私の母はとてもよく笑います。社交性もすごくありますし、私の友人たちも母に会いたがる人が多いのですが、本当に人を幸せにするタイプの人間だと思っています。

タイ・バンコクで眉ティントをしたCRAZY COCOさん(写真右)と母親(写真左)

 

──新人芸人として現在はどのような生活を送っているのですか。

 

CRAZY COCOさん:

日中はアルバイトをしながらオーディションなどを受けています。夜は家で動画を作ってSNSにあげています。色々な仕事を経て、覚悟を決めてこの世界に飛び込みました。20代で挑んでいるわけではないので、計画性を持って着実に夢を叶えていきたいと思っています。

 

PROFILE CRAZY COCOさん

1986年大阪府生まれ。元エミレーツ航空CA芸人。バイヤー・CA・海外営業・コンサルタントを含む4回の転職を経て、コロナ入院をきっかけに芸人という天職に出会う。約70カ国を訪れた経験を活かし、海外へも発信できるよう英語のネタも豊富。InstagramやYouTubeでネタを配信中。

取材・文/内橋明日香 写真提供/CRAZY COCO