仕事や家事育児、生活の中で感じるモヤモヤ。

 

「暮らしに前向きな変化を起こす」をテーマに、イラストや文章をSNSなどで発信している描き子さんはどう感じ、考えているのでしょうか。

 

今回は育児中よく耳にする「子どもはほっとけば育つ」について。

 

この世のモヤモヤは、自分の視点を変えてみれば楽になる…かもしれません!

「ほっとけば育つ」が都合がよく使われすぎている件

家庭において、母親は細々と子どもの世話を焼きがちな一方、父親は割と放任がちというところは多いように感じます。逆はあんまり聞かないような。 

 

子どもをほったらかして携帯を見ている夫にイライラする妻、というのは母親の間では鉄板の「あるある」ネタですが、 ここで夫側の反論として持ち出される伝家の宝刀、それが「子どもなんてほっとけば育つ」ではないでしょうか。 

 

夫婦間だけでなく、子どもを理由に職場に穴を開ける母親について、職場の人たちが愚痴る時にもよく聞かれる言葉だったりします。 

 

「子どもはほっとけば育つ」

 

母親は何かと子どものことを気にしてしまうものだけれど、干渉しすぎたり心配しすぎるのはかえって子どもにとってよくないこともある。命に関わるようなことでなければ、信頼してほったらかした方が子どもだって強くなるのでは?というわけですね。 

 

話としては納得できるし、そういう考え方が必要なのもわかるんです。 

 

でも、育児にまつわるこの手の言葉って、都合よく使われすぎてないか、と思うのです。 

 

母親が子どものことに必死になっていると「子どもなんてほっとけば育つ」とたしなめられ「母親の過干渉が原因で子どもの心が歪む」なんていう恐い話を持ち出される。 

 

かと思うと、子どものことをほったからせば「それでも母親か」とたしなめられ、今度は「母親の愛情不足が原因で子どもの心が歪む」バージョンの話が展開します。 要するに、母親がどういう態度であろうとも、周囲はその人の価値観で母親を非難することができてしまう。 

 

「子どもはほっとけば育つ」というのは、確かに必要な視点です。 

 

過剰に世話を焼いて、子どもの可能性を奪うようなことがあってはいけません。

 

しかし一方で、子どもたちがそのたくましさを発揮できるのも、細々と世話を焼いて自分に必死になってくれる誰かがいるからだ、ということも強調したいものです。 

 

安全な基地があるから、冒険ができる。 

 

私たち大人だってそうですよね。関心を持ってくれる人がいるから、あなたこそが大事だと言ってくれる人がいるから、毎日を頑張れるのです。 

父親が放任的でいられるのは干渉役がいるから

「放任的な関わり」と「干渉的な関わり」。要はバランスで、子どもにはどちらも必要なものです。 

 

冒頭の夫婦の例でいえば、父親が「放任役」に徹することができるのも、母親が「干渉役」 をやってくれているから。 

 

ちょうどいい愛情のかけ方なんて誰も教えてくれず、 正解はどこにもない。母親たちはわが子にはこれがベストだろうということを、自分なりに手探りで行っていくしかないわけです。 

 

子どもに対して必死になってる母親に「子どもはほっとけば育つ」という一般論をぶつけてしまうのは、ちょっと違うのではないかな、と感じています。

 

文・イラスト/描き子