レトロなモノが注目されている今日このごろ。しかし、全国各地のレトロな駅舎は解体、もしくは駅としての役割を終えつつあります。 そんな中、大阪府高石市にある高師浜駅には大正時代に建てられたオシャレな洋風駅舎があります。また、高師浜駅と羽衣駅を結ぶ南海高師浜線は10月に全線開通100年を迎えました。今回は南海高師浜線と高師浜駅の魅力をたっぷりと紹介します。
そもそも南海高師浜線とは?
高師浜線は南海本線の接続駅、羽衣駅と高師浜駅を結ぶ全長わずか1.5キロの路線。首都圏で例えるとJR山手線の代々木駅~原宿駅間と同じです。羽衣駅には南海本線の急行や空港急行が止まるので、難波からのアクセスも便利ですよ。
高師浜線が開業したのは1918年のこと。当初は羽衣駅から隣駅の伽羅橋駅(きゃらばし)まで。翌年の1919年に高師浜駅まで伸びて全通となっています。高師浜線は海水浴客輸送のために建設されました。残念ながら、高師浜線から海は見えません。
羽衣駅からあっという間に高師浜駅へ
羽衣駅、3番線から高師浜行きに乗ります。2019年9月現在、羽衣駅では高架化工事が進められています。高架化工事が完成したら、高師浜線の印象もガラリと変わるのでしょうね。
羽衣駅を出発するとしばらくは南海本線と並んで走ります。やがて高架線に入り、伽羅橋駅に着きました。伽羅橋駅は難読駅の一つで「きゃらばし」と読みます。まあ、普通は読めませんね。駅名の由来となった伽羅橋は旧紀州街道の芦田川に架かっていた橋。現在は周辺の公園に石橋が保存されています。
伽羅橋駅で大半の乗客が降り、ほどなくして終点の高師浜駅に到着。羽衣駅を出発してわずか3分!本当にあっという間でした。
高師浜線のハイライトは大正時代に建造された高師浜駅
高師浜線のハイライトは大正時代に建てられた高師浜駅舎です。さっそく改札口を出て、駅舎の正面を見学しました。駅舎はまるで山小屋やペンションのようなデザインで本当にかわいいです。駅舎が建てられたのは高師浜線が全通した1919年のこと。今年で100歳の誕生日を迎えました。
駅周辺には高級住宅が立ち並び、沿線に合わせるために西洋風の駅舎が建てられたようです。近年、明治時代に建設された旧浜寺公園駅舎、大正時代に建設された旧諏訪ノ森駅舎が”駅”としての役割を終えました。したがって、”駅”として働いている高師浜駅舎はとても貴重な存在です。
もう少し外観を観察してみましょう。窓に注目してください。上の窓はまるでかまぼこのようなデザイン。駅舎全体のデザインもさることながら、窓もオシャレですね。
駅舎に入ったら出入口の上にあるステンドグラスを見てください!波と鳥が描かれたステンドガラスはまさしく一級品。味がありますね。
このように歴史的に貴重な高師浜駅舎ですが、ピンチを迎えた時もありました。1970年、高師浜駅は高架駅になりましたが、駅舎の解体・改築が持ち上がりました。しかし、地元住民の熱意により駅舎は守られることに。現在まで大切に使われています。
高師浜線のダイヤは?車両は?
高師浜線は朝・夕ラッシュ時は15分間隔、それ以外の時間帯は1時間に2本~3本です。すべて羽衣~高師浜間を走る普通列車です。なお日中時間帯は羽衣駅で難波方面行きの電車に連絡します。
高師浜線は単線ですべての駅は1つのホームしかない1面1線です。したがって同じ電車が行ったり来たりしています。
高師浜線で使われている車両は他支線でも活躍している2230系です。2230系は1969年~1972年にかけて製造された22000系を改造した車両です。22000系は「ズームカー」という愛称で親しまれ、高野山極楽橋まで乗り入れていました。現在はワンマン化改造を受け、のんびりと余生を楽しんでいます。
高師浜線に乗車するにあたっての注意点
高師浜線はおおむね1時間に3本程度の列車本数なので、プランは組みやすいと思います。また高師浜駅から南海本線の高石駅までも1キロほどしか離れていません。注意点は高師浜線から難波方面への乗り換えです。私は羽衣駅で高師浜線から空港急行難波行きに乗り換えましたが、ギリギリでした。難波方面へ急がれる場合は羽衣方の1番前の扉付近に乗車することをおすすめします。羽衣~高師浜間の運賃は片道大人1人160円、所要時間は片道3分です。
なお高師浜線では全通100周年を記念して3月31日まで”走る工場夜景ラッピング電車”に記念ヘッドマークを掲示します。関西空港や難波に行く合間に高師浜線に寄り道してみませんか。
文・撮影/新田浩之