「顔も名前も変えたい」過酷な入院と母の無念
──「足を切断して!」と叫ぶほどの痛み、想像を絶します。手術後の入院生活も思うように動けなかったそうですね。
神田さん:ベッドから自力で起き上がることも、寝返りを打つことすらできませんでした。私の生きる世界は、ベッドの上のわずか1畳半だけ。42歳にして、トイレにひとりで行くこともできずおむつをあてられ、看護師さんに体を拭いてもらい、生理の世話までしていただくという完全な介護状態でした。
自分では何もできない情けなさは、本当に心にこたえましたね。特に、薬などの影響でなかなか便が出なくなり、看護師さんが指を入れて掻き出す「摘便(てきべん)」をしていただいたときは、恥ずかしさを通り越して「もう自分の顔も名前も全部変えてしまいたい」と、惨めさでいっぱいになりました。 同時に、そこまでして患者に寄り添ってくださる医療従事者の方々への深い感謝も身に沁みました。

そして何よりつらかったのは、5歳だった娘の大事な晴れ舞台に立ち会えなかったことです。 娘がバイオリンのアンサンブルで、イタリアの大きな舞台に立つ予定が入っていたんです。入院した私を見て、娘は「ママが行かないなら、私も絶対に行かない!」の一点張り。焦りましたが、最終的には周囲の方の協力もあり、娘を送り出すことができました。
入院中、夫から送られてくる娘の晴れ舞台の動画を見るのが唯一の励みでしたが、ずっと練習を重ねてきた娘の姿を生で見てあげられなかった悔しさに、「無念というのはこういうことを言うんだ」とベッドの上で涙が止まりませんでした。 以来、私はそう簡単に「無念」という言葉を口にしなくなりました。
ヘルニアとは一生のつき合いになる
── 1か月半の入院と手術を経て、後遺症などは残らなかったのでしょうか。
神田さん:先生からは「半年も経てばしびれも取れるでしょう」と言われていたのですが、リハビリを一生懸命続けても、足のしびれは完全には消えませんでした。手術から9年が経った今でも、寒くなると足にしびれが出てきます。体質が似ているのか、私の弟も翌年にヘルニアを発症したのですが、弟は初期の段階ですぐに手術をしたため、後遺症は残っていないんです。この差を見たとき、初期の対応がいかにその後の人生を左右するかを思い知らされました。
本当に手痛い経験をしたからこそ、私はそれ以来、何かあれば必ずセカンドオピニオンを受けるようにしています。ヘルニアの痛みの程度には個人差がありますが、私にとっては「世の中に、これほどまでの痛みが存在するのか」と思い知らされた出来事でした。もともと腰痛持ちでぎっくり腰の経験もありましたが、神経を直接圧迫されるヘルニアの激痛は、次元がまったく違います。
だからこそ、同じように腰や足の痛みに悩んでいる方に強くお伝えしたいのは、納得がいかなければ迷わず別の医師の意見を聞くということです。 最初の病院で正しく診断されていれば、私は痛みに耐えながら運動を続けることも、救急搬送されることもありませんでした。今回の再発でも、前回の教訓を生かしてすぐにセカンドオピニオンを受けています。
現在は、腰への負担を考えて無理な予定は控え、治療を最優先に過ごしています。ヘルニアという病気を通して、自分の体とどう向き合うべきか、そして誰とどんな時間を過ごすべきかを改めて教えられている気がします。
本当は年内の完治を目指していたのですが、咳で逆戻りしてしまったので、今は来年3月の誕生日までの寛解を目標にしています。ヘルニアとは一生のつき合いになると思いますが、焦らずうまくつき合っていきたいですね。
取材・文:内橋明日香 写真:神田うの