「初めは経過観察だった」── 。俳優・徳留歌織さん(40)を襲ったのは、7cm大まで進行した乳がんの宣告だった。診断直後に人前で流した大粒の涙、抗がん剤による脱毛で坊主頭になった自分を見て涙した父親の姿。周囲をこれ以上悲しませたくないと下した「13時間の全摘・再建手術」の決断と、自身もがんサバイバーの夫の支え。壮絶だと思われる日々の果てにがんを克服した彼女が、自分自身の心と向き合い続けた軌跡を振り返ります。
2度の経過観察も「確実に何かの病気です」

── 徳留さんが乳がんと判明したのは、2025年11月末だったと伺いました。
徳留さん:実は、その1年以上前に一般の健康診断で要再検査になって、乳腺科を受診したんです。そこは生検(しこりから細胞や組織を採取して、良性か悪性かを確定診断する方法)をしなくても確定診断が可能だと聞いて、「体に傷がつかず痛くないなら」と再検査を受けました。
当時はまだしこりが小さく、医師から「半年、経過観察しましょう」と言われて。半年後の受診でも経過観察と言われ、様子を見ていました。その1年後に一般的な健康診断で乳がん検診を受けたところ、検査技師の方から「私は医師ではないので診断はできないものの、明らかにしこりが大きくなっているから早めに病院へ行ったほうがいいと思う」と言われたんです。セカンドオピニオンとして、生検をしてくれる別の病院を受診しました。そのとき、しこりは7㎝になっていました。
生検の前、医師からは「確実に何かの病気で、良性の可能性はかなり低い」と言われていました。2週間後、検査結果が出たときには、医師から「やはり乳がんでした」と言われました。その後紹介された大学病院を受診したところ、右脇のリンパ腺にも転移があり、ステージ2Bと診断されました。
── 最初の健康診断から1年以上経って、乳がんだとわかったんですね。診断されるまでの間、どんな思いだったのでしょうか。
徳留さん:私、最初の健康診断でしこりがあるとわかった段階で、「乳がんじゃないかな」って薄々思っていたんです。2回目の健康診断で、しこりが大きくなっているとわかった時点で、「絶対そうだ」と確信に変わっていました。もっと早くセカンドオピニオンを受けておけば違う結果になっていたかもしれない…という思いが頭をよぎりました。
病院で生検を受けて、診断されるまではずっと乳がんというバンジージャンプの列に並んでいるような気持ちでした。診断を受けたときは「私の順番がきたんですね」という感じで。変かもしれないのですが、ショックだったけど、覚悟ができていた気もします。
結局、自宅から近い大学病院を紹介され、半年間の抗がん剤治療と乳房の全摘手術を受けることになりました。
そのあと、診断結果を夫に伝えたのですが、25歳のときにがんを経験していた夫は、取り乱すことなく「治療をすれば必ず治るよ」と言ってくれました。その言葉で私も落ち着けたように思います。
その日は診察のあとに演技のワークショップの予定が入っていたので、そのまま向かいました。でも、バスの中で涙が急に出そうになって、「なんでこんな日にワークショップの予定を入れてしまったんだろう」と思いました。それでも今、自分のやるベきことなんだと思い直し、会場に行ったんです。ところが、ワークショップが始まってすぐに、大勢の参加者の前で大泣きしてしまって。
── 涙が止まらなくなったのですね。どんな状況だったのでしょうか。
徳留さん:演技のワークショップは、自分の今の状況や気持ちを話してリラックスした状態で役作りをして、演技を始める場なんですね。
ワークショップが始まって、そのときの自分の気持ちを話す番になって、正直に「私は今、悲しいということに気がついています」と言ったんです。そして「実は、さっき乳がんですと言われました」と、診断されたときの状況を説明していたら涙があふれ出てきて。
そのときのアクティング(演技)コーチとは5年近くの付き合いで、私のことをよくわかってくれている方でした。普段から、私が無理して取り繕っていると感じたときには「本当はどう?それからどう思った?それは本心だと思う?」というように、否定はせずに質問を重ねてくれます。だから、私が悲しい気持ちだと話したときも、「悲しい。でも、それだけ?」と掘り下げることができ、最終的には心の奥底にあった「怖い」という気持ちにたどり着けました。
コーチは、私の感情や言葉が出てくるまでの間、自分がプレッシャーを感じないでいられる温かな雰囲気でただ待ってくれていた。その安心感があったから、心の奥底にあった本当の想いや言葉を引き出せたのかなと思います。あとは、私なら自力で、自分の本当の気持ちを引き出せると信じてもらえていると、私に対して深い信頼を持ってくれているのがわかっているのも大きかったです。
初めて会った人たちなど第三者のいる空間で、そのときの自分にとって生まれて初めての感情や状態を受け入れられたことで、すっきりした気持ちになれたんです。
坊主になった姿を見て父が涙

── 最初に抗がん剤による治療を2025年12月から半年間続けられたそうですね。
徳留さん:はい。私の場合は、しこりが大きかったので抗がん剤でがん細胞を小さくしてから乳房の全摘手術を受けることになりました。
12月に初めての抗がん剤治療を1泊2日で受けたときは、副作用もほとんど感じないまま年末年始も無事に過ごせました。食欲もあったのでよかったと思っていたんです。それが、お正月を過ぎた頃から全身にじんましんができて。大学病院内の皮膚科で処方されたステロイド剤と飲み薬でなんとか症状が治まるような状態でした。
その後、どんどん髪の毛も抜けるようになり、一時期ウィッグを使っていました。俳優は人前に出る仕事なので、この状態がどのように仕事に影響するのか不安に思うこともありました。
でも、「どんなことも糧になる」と信じて受けとめ、副作用すら「こんなふうになるのか」といつかくるかもしれない役のための研究対象でした。受けられる仕事は限られていたけれど、一つひとつ精一杯努めさせていただき、できることをやっていこうと常に前向きに過ごしていました。
── 抗がん剤治療の後は、13時間もの乳房の全摘手術と再建手術を受けられたそうですね。どんな理由から再建手術を選択されたのですか?
徳留さん:乳房の再建をはじめいろいろな選択肢があって、メリットとデメリットがあるなかで選択したのですが、最初は再建しない方向に考えが傾いていたんです。胸がなくても私は変わらないし、自分さえ気にしなければと思って。でも、家族やまわりの人たちに余計な気をつかわせてしまうんじゃないかと思い直しました。
実はその頃、髪の毛がどっさり抜けてしまい、坊主頭にしたのですが、それを見た父が泣いてしまって。姉が「なんでお父さんが泣くの!」って言ってくれたけれど、想像以上に髪が抜けたせいで、私自身もかなり動揺しました。そんな経験もあり、乳房の再建するかどうかは、私も周囲の人もできるだけショックを受けない選択をしたいと思ったんです。
乳房の全摘手術と再建手術は同じ日に受けました。乳房の全摘手術は通常2、3時間らしいのですが、私の場合、自家組織(じかそしき)といって、自分のお腹の組織を胸に移植したので13時間がかかったと、あとで聞きました。
術後はICUに3日間入院したのですが、体を動かせない時間が続いてものすごく辛かったです。伸びをしようとしただけで傷口が開いてしまうリスクもあったので、寝返りも打てない状態でした。