「もう無理です!」と看護師の前で号泣して

── 瑚々さんの状態が一変したんですね。
渡辺さん:病院からは「まずは身体の状態が変わった瑚々に徐々に慣れていくことから始めましょう」と言われ、毎日瑚々に付き添いながら、在宅に戻った後のケアや介護の方法を看護師さんから教わるようになりました。それでも、私は瑚々に起こったことが現実だとは受け入れられませんでした。
しかも、看護師さんにケアを学ぶ以外、1日の大半は瑚々と部屋で2人きりだったんです。個室だったのでドアを閉じると外の音がまったく聞こえなくて、機械のモニター音がやけに大きく響いているように感じました。
瑚々はほとんど動かず、目も合わず、会話もできない。息が詰まって、「この先、瑚々を家でみるなんて無理じゃないか。もうここから逃げ出したい。今すぐ消えたい…!」と。急変から1か月経つころには私の心は限界に達していました。そして、たまたま部屋を訪れた看護師さんに「もう無理です!」と号泣してしまったんです。
看護師さんは状況を理解してくれて、これまで1日中行っていた瑚々の付き添いも「今後は来られるときだけでいいよ。焦ることじゃないし」と言ってくれたんです。おかげで心がかなり軽くなりました。自分で自分を追い詰めてしまった部分もあると思います。でも、急変前、急変後の付き添い期間は泊まり込みで半年以上過ごしていたし、サバイバルよりもつらかったです。
── その後はすこし休めたのでしょうか?
渡辺さん:はい。夜はしっかり寝て、ご飯もちゃんと食べて、意識して休むようにしました。泊まりでの付き添いは辞めて、面会も終日ではなく数時間に短縮。気持ちが落ち着きはじめてから、看護師さんに再び在宅後のケアの仕方を教わるようになりました。瑚々もアナフィラキシーショックで数日PICUにいましたが、のちに一般病棟に戻り、アナフィラキシーショックから1年3か月後に退院しました。
また、その間に「ローハッド症候群」と診断もでました。それまでは「疑い」だったので、「ローハッド症候群なんて認めたくない!」と思ったこともあったんです。でも、アナフィラキシーショックで娘が生死をさまよってからは、「ローハッド症候群でもそうじゃなくても、命があるだけでありがたい」と思うようになりました。
ローハッド症候群とアナフィラキシーショックの関連は今もわかっていません。
── 現在は実家で両親と同居し、在宅介護をされているとのこと。退院から2年経った今、瑚々さんの様子はいかがですか?
渡辺さん:今も変わらず寝たきりで、会話も難しく、自分の感情を出すことが苦手です。支援学校に通うことで刺激を受け、少しずつ自分の思いを表現する練習もできたらと思っています。
目や耳、体を触った感覚は正常です。自分ではなかなか動きづらいですが、それでも体を動かしたり、表情で意思表示をしようとしてくれます。元気だったころの瑚々と変わらない部分も感じ取れて、癒やされます。
医師にはアナフィラキシーショックのときに「もう目を覚ますことはないです」と言われました。ローハッド症候群の子がみんな寝たきりになるわけではなく、瑚々の場合の話です。それでも、今はかなり奇跡的な回復も見せているのかな、と思います。
「瑚々には私だけしかいない」では困る
── 今、瑚々さんを育てるうえで、大事にしていることはどんなことですか?
渡辺さん:瑚々の病気以前に、シングルマザーとしてやっていくと決めたときに思ったことなんですが、「自分ひとりで抱え込むのではなく、いろいろな人の手を借りながら瑚々を育てよう」ということです。瑚々の病気がわかってからは、さらにその気持ちが強くなりました。
私がずっと健康でいられるかわからないし、私だけしか瑚々を生かせられないのは困る。医療関係の人はもちろん、支援学校の先生や看護師さん、ママ友、SNSなど、ひとりでも多くの人と繋がって、瑚々が生きやすい環境を整えたい。その為に種まきが必要だと思いました。
学校は当初は通学ではなく訪問籍(在宅で教育を受ける)を勧められましたが、相談して通学にしてもらいました。瑚々が通う学校では呼吸管理のある子どもが通学籍になるのは初めてのことです。私も瑚々と一緒に学校に行って、学校の看護師さんに呼吸管理のケアや手技の仕方を伝えていますが、家の中だけで生活するのではなく、外の世界にも触れて生きてほしかったんです。学校側は私の申し出を快諾してくださり、協力してくださっています。学校側の対応にもとても感謝しています。
瑚々も、私が瑚々の介護だけで終わったら嫌なんじゃないかな、とも思うんです。なので、今は月1回、1週間程度レスパイト( 在宅介護者が一時的にケアから離れるために、専門職・施設が本人のケアを代替する支援)を利用し、私もその間に友達と食事に行ったり、ネイルに行ったり、自分の好きなことに時間を使っています。
── 渡辺さん自身はこの先をどうやって過ごしていきたいと考えていますか。
渡辺さん:今は親の会社を手伝う形で生活していますが、いずれは違うこともやっていきたいです。調理師免許を持っているので、介護する家族に何か食事を提供できるサービスとか、子ども食堂とか。何か自分にできることがあるんじゃないかなと今は模索中です。
瑚々の病気がわかったときは、世界が突如として暗くて悲しいものに変わりましたが、瑚々を通して新しく繋がった人がたくさんいるのも事実です。自分ができること、楽しめることも大切にしながら、これからも瑚々と過ごしていきたいです。
取材・文:松永怜 写真:渡辺未来