「待望の第2子の妊娠がわかった2か月後に、子宮頸がんと診断されたんです」。7歳の息子を育てる金指 歩さん(40)は、当時の心境を「天国から地獄」と振り返ります。がん告知と同時に「妊娠を継続するか、中断して治療を優先するか」という命の選択を迫られた金指さん。「幼い長男を残して死ねない」と、心が追いつかないまま中絶と子宮全摘を決断した母の、今も胸に残り続ける「消えない葛藤」に迫ります。
待望の第2子妊娠後に、子宮頸がんが発覚

── 2025年1月に第2子の妊娠が判明したそうですね。当時の心境を教えてください。
金指さん:心から嬉しかったです。前の夫との間で第2子の不妊治療に悩み、その後に離婚も経験していたため、私にとって第2子の妊娠はずっと待ち望んでいたことでした。現在のパートナーとの間に授かったとわかったときは、とても嬉しかったです。
妊娠12週目に入った3月、新型出生前診断(NIPT)も受けたのですが、「胎児に異常はありませんでした」と言われ、「これで安心して産める」と胸をなでおろしました。
ところがその翌日、病院から「お話があります」と呼び出しの電話が来ました。妊婦健診で引っかかっていた子宮頸がんの精密検査結果を聞くために病院へ行くと、「子宮頸がんでした」と告げられたんです。進行の早い腺がんのステージ1B2期で、腫瘍はすでに2センチを超えており、子宮や卵巣などを摘出する「広汎子宮全摘出術」が早急に必要だと言われました。
「安心して産める」と喜んだ直後に、自分が重いがんだと知らされた。まさに天国から地獄へ突き落とされたようで、心がまったく追いつかず、「何が起こったんだろう」と混乱するばかりでした。
妊娠の継続を希望するも「命が2年もたない」
── 告知の直後、非常に過酷な選択を迫られたそうですね。
金指さん:医師からは「赤ちゃんがお腹の中にいるとがんの治療ができないため、妊娠を継続するか中断するかの選択が必要になる」と言われました。
諦めきれず、「赤ちゃんが助かる妊娠22週や24週まで待ってから、治療を始めることはできませんか」と食い下がりました。しかし返ってきたのは「母体への影響が大きすぎます。命が2年もたないでしょう」という非情な言葉でした。
その言葉を聞いて呆然としました。ただ、これだけははっきりと思ったんです。当時4歳だった長男を残して、2年後に死ぬことはできない。それに、産めたとしてもその子が大きくなるまで育てられないのでは、私にとっては意味がないと。
一刻を争う症状だったため、医師から「明日にでも手術できますか?」と尋ねられました。心が全然追いつかないまま、私は翌日の中絶手術を決めました。
── パートナーの方にはどのように伝えたのでしょうか。
金指さん:「私、手術しないと2年で死んでしまうらしい」とすぐにLINEで伝えました。パートナーは、私の体を心配して泣き崩れたそうです。大きなショックを受けながらも、最後は私の決断を受け入れ、尊重してくれました。
告知の翌日、1泊2日で中絶手術を受け、そのわずか2週間後には6時間に及ぶ広汎子宮全摘出術を受けました。

── わずか2週間のうちに人生の困難が2度も訪れたのですね…。想像を絶する状況だったと思います。どのように気持ちを保っていたのでしょうか。
金指さん:初めて涙が出たのは、告知された日の夜でした。翌日の中絶手術を受ける前にひと晩思いっきり泣いたことで、少しだけ気持ちに区切りがつけられた気がします。とはいえ、あまりの急展開に、心が追いつくはずがありません。
ただ、そんな状況のなか、自営業の仕事が忙しかったことは結果的に救いになりました。2週間、無我夢中で仕事に没頭することで、余計な不安を紛らわせることができたんです。
それでも、ふとした瞬間に耐え難い悲しみに襲われることもありました。そんなときは無理をせず、オンラインのカウンセリングやメンタルクリニック、病院から紹介された子どもを亡くした人のためのグリーフケア(喪失への心のケア)を利用しました。専門家に胸の内を吐き出すことで、なんとか心が折れないように、踏ん張っていたんです。
自分の心身を保つことは、容易ではなかった
── 入院中、息子さんのケアや周囲へのサポートはどのように準備されたのですか?
金指さん:母が自宅にきて息子の面倒をみてくれることに。「おばあちゃんの言うことを聞いてね」と息子に伝え、普段どおりを心がけました。ただ、シングルマザーということもあり、中絶手術から全摘手術までの2週間、「私に万が一のことがあった場合」に備えて、地域のファミリーサポートや子ども相談窓口などにも相談をし、セーフティネットを整えました。
一番悩んだのは、11日間の長期入院を息子にどう伝えるかです。専門のカウンセラーに相談をし、アドバイスをもらいました。
「病気の悪いところを手術で取るために入院するよ。でも、あなたのせいじゃない。誰も悪くないからね」と。子どもは「自分がお母さんを病気にさせてしまったんじゃないか」と自分を責めてしまいがちだと聞いたので、そこだけは絶対に伝えたかったんです。
また、ちょうど時期が重なっていた保育園の卒園式と小学校の入学式には「絶対に出たいです」と医師にお願いしていました。なんとか中絶手術の後に卒園式、そして広汎子宮全摘出術を終えて退院した翌日には、小学校の入学式に出席することができました。
── 満身創痍のなかで出席されたのですね。息子さんの反応はいかがでしたか?
金指さん:周囲には病気のことをいっさい伝えていなかったので心細さもありましたが、息子の晴れ姿と笑顔を見られて本当によかったです。
ただ、手術後に息子から「妹か弟がほしい」と言われたときは、胸が締めつけられました。術前に少しふくらんでいた私のお腹を見て、息子は何かを感じとっていたのかもしれません。「ごめんね。ママはもう産めないんだ」と正直に答えると、息子は黙り込んでしまいました。6歳だった息子がどこまで理解できたかはわかりません。いつか本人が聞いてきたときに改めて話そうと思っています。
── お子さんのケアもですが、ご自身の心身を保つことも容易ではなかったのではないでしょうか。
金指さん:そうですね。術後1年ほどは、子どもを何人も連れた家族を見かけるだけで、胸が苦しかったです。「なぜ私は2人とも育ててあげられなかったんだろう」とやり場のない思いが込み上げてきて…。だから当時は、街で親子を見かけるたびにあえて視線を逸らし、自分の感情や涙をグッと抑え込んで過ごしていました。
取材・文:たかなしまき 写真:金指 歩