私も知らぬ間に病気がない家が「ふつう」と思いこんでいた──。指定難病「結節性硬化症」を患い、重度障害を抱える兄を持つ陽菜ちゃん。きょうだい児としての葛藤と向き合い過ごした10年。みずからテーマを選んで綴った夏休みの作文には、家族や社会への等身大の本音がありました。大切な家族と紡ぐ、庄司あいかさんの今に迫ります。

親よりも長く生きられるかわからない息子の未来は

庄司隼人
2026年の夏の旅行では、5mm角ほどに刻むことで、隼人くんもみんなと同じ食事を楽しんだ

── 生後半年で「結節性硬化症」と診断された長男の隼人くんは、片麻痺のため起立、歩行ができないほか、てんかんの発作があったり、言語によるコミュニケーションも難しかったりするなど、重度の心身障害を抱えています。14歳の今もケアが必要な状態ですが、どのような日常生活を送っているのでしょうか。

 

庄司さん:わが家は朝が早く、5時半に朝食です。みんなが食べ終わったら、私が介助しながらの隼人の朝食タイム。2歳から管を通してチューブから栄養を補給していましたが、現在は、具材が5mm角程度でとろみをつければみんなと同じ食事を食べられます。それから身支度をととのえ、バギーのまま車にのせて9時に特別支援学校へ。放課後は職員の方が学校へ迎えにきてくださってデイサービスに行き、17時ごろに自宅まで送り届けてもらっています。

 

家では、昔から大好きな音の出るおもちゃで遊んだり、テレビの幼児向け番組を見たり、中学に入学し吹奏楽部に入った陽菜の演奏を聞いて体を揺らしたり。昔から音にはよく反応するんです。

 

休日はキャンプにも行きます。キャンプ好きの夫の影響で、隼人も2、3歳ごろから楽しんでいますよ。隼人をバギーごと載せるスロープ付きの車と、キャンプ用品を積むため車2台で行くのでなかなか大がかりですが、隼人はドライブも大好き。それに不思議なことに、自然の中だとてんかんの発作がほとんど出ないんです。家族の賑やかな声と木々のざわめきに気持ちよさそうに過ごしています。

 

庄司隼人 庄司陽菜 庄司晴
夏恒例のキャンプ。バギーに座り、木々のざわめきや川の音、鳥の声に耳を傾ける隼人くん

── 隼人くんの将来については、どのように考えていますか?

 

庄司さん:親に何かあったときに自立できるようにと、グループホーム入所を目指して育ててきました。隼人を預けられるグループホームがないならと、その設立を目指して活動した時期もありました。

 

でも…今はグループホームだけが正解じゃないかも、と思っているんです。病気があり、親よりも長く生きられるかわからないなかで、親と離れて暮らすことが本当に正解なのかなって。何より私自身、限られた時間をできるだけ隼人と一緒に過ごしたい気持ちが強くなってきたので、今は日中は「生活介護」を利用しながら家で一緒に暮らすかたちを考えています。

 

「生活介護」とは、デイサービスのように、自宅から生活介護の場所へ通い、夕方には帰ってくる、という暮らし方のことです。今や体が大きくなり、入浴などの介助はかなりの重労働です。私がやると腰をやられてしまうので、デイサービスのときにお願いしたり、ヘルパーさんが自宅で入浴介助してくれるサービスを利用したり。そのようなサービスを利用しながら一緒に暮らせればと思っています。

 

── お母さんが隼人くんにつきっきりで幼少期は寂しい思いをしていた妹の陽菜ちゃんが、保育園児のとき「にぃになんて死んじゃえばいいのに」と言ったそうですね。それが最近は「にぃににはずっと家にいてほしいな」と呟いていたと聞きました。

 

庄司さん:そうなんです。隼人の将来の話をしていたわけではなかったのですが、陽菜が「にぃにはこれからどうするの?」ってふと言い出して。隼人のことを思う気持ちが素直にうれしかったですね。

 

もしかしたら、幼少期のときの陽菜の発言は、寂しさからくるヤキモチの延長のような感じだったのかな。今はそんな気もしています。

「ふつうとはなにか」娘が作文に綴った答え

庄司陽菜
「ふつう」について問うた陽菜ちゃんの作文は学校代表に選ばれ、学校祭で発表もした

──「ふつう」とは何かについて、隼人くんのことを陽菜ちゃんが作文に書いてくれたそうですね。

 

庄司さん:はい。夏休みの宿題で、別にテーマは決まっていなかったらしいんですが。誰に言われるでもなくみずから陽菜がこのテーマについて書こうと決め、自分なりに兄の障害についての考えをまとめたことは、本当に嬉しく誇らしい気持ちでした。

 

陽菜と隼人は、ほかのどの兄妹とも同じように、仲良く遊んだり、ときにはケンカをしたりしながら、一緒に育ってきました。兄のおもちゃを奪うこともあれば、やさしく譲ることもありましたが、そこに隼人のことを「障害があってかわいそうだ」と思う気持ちはありません。ひとりの兄として隼人のありのままを受け入れ、遠慮なく感情をぶつけ合いながら、ともに成長してきました。

 

私はずっと、ふたりの妹と弟に、障害がある兄のことを恥ずかしいと思ってほしくない、と願い育ててきたつもりでした。ふたりが兄を隠したがるような人間にはなってほしくないし、そのことを受け入れてもらえる世の中であってほしい。私の絵本を通した活動も、障害への理解が広まるようにと思ってのことです。

 

陽菜が成長のなかで、自分の家は「ふつうではない」と感じることもありながらも、今はお兄ちゃんのことを胸を張って「知ってほしい」と思ってくれたこと、そしてそのことを作文という形でみんなに伝えようとしたこと。そんな姿を見ると、私の思いは娘にまっすぐ伝わっていたんだと、やっぱりジンとくるものがありました。

「ちょうどよく、適当に」が合言葉

── 絵本を通して障害への理解を広める活動に邁進してきた庄司さんですが、今後の活動はどんなふうに考えているのですか。

 

庄司さん:障害のある隼人が生まれてから10年以上、「隼人のためにできることはなんでもしよう」と必死に突っ走ってきました。その結果、頑張りすぎて心身ともに限界を超えてしまった。周りを思いやれなくなり、妹の陽菜を傷つけ、夫との関係まで悪くなって離婚を考えるまで追い詰められました。その経験から多くの気づきと学びを経た今は、自分を労わることが最優先です。「ちょうどよく、適当に」を合言葉に、しっかり自分を休ませながら、次のワクワクを探し中、といった状況です。

 

というのも、2024年にリウマチのアクセサリー作家、松田友紀さんと『ありがたいなぁ』という絵本を一緒に制作したのですが、そのときに改めて「私の毎日って幸せだよなぁ、ありがたいよなぁ」って思ったら、もう「今が十分幸せなのに、これ以上何を頑張るんだろう?」っていうモードに入ってしまって…!

 

大切にしているのは「自分がやりたいか、やりたくないか」を軸に決めること。それは常に意識するようになりました。たとえば掃除にしても、誰かに言われたからではなく、「きれいな状態で心地よく過ごしたいな」と私が思ったら、今日は掃除をしようと決める。そんな感じです。自分に正直になると決めたら、今は本当、頑張れなくなって(笑)。でもそれでいいのかなと思っています。

 

最近は、次男が小学校に入学して時間に余裕ができたので、朝走ってヨガをしてリラックスするひとり時間も大事にしていますし、ゴロゴロ、ダラダラと過ごすときもあります。そんなときも「今は心が休めている」と思って、罪悪感を感じることもありません。

 

見知らぬ健常児の子を見て涙が出ることも、「普通」の家族を見て苦しくなることももうなくなりました。長男の隼人の介護もそうですが、3番目の次男・晴はやんちゃで周囲に迷惑をかけることもあり、まだまだ手がかかります。それでも、毎日「今がいちばん幸せだなぁ」って思うんですよね。ここまで来るために、かつてわが子を愛おしいと思えずに苦しんでいた時間が必要だったのかもしれない、今ではそんなふうにも思っています。

 

取材・文:遊馬里江 写真:庄司あいか