生まれてすぐ亡くなったわが子のために産着を作った田中梓さん。同じような境遇の方が「すぐに棺に入れるのではなく、産着を着せたかった」という声をSNSで目にします。溢れる思いの共鳴。「他の方のためにも産着を届けたい」と始めて1300着以上を作り、田中さんは夫とともにいまも活動を続けています。
亡くなった赤ちゃんに産着を着せたい思い
── 2020年、28歳で第1子・まおちゃんを妊娠6か月で死産した田中梓さん。亡くなった娘のために小さな産着を縫い、その後、夫の淳さんと「おうち」と呼ぶメモリアルスペースを手作りしました。その経験をきっかけに、現在は夫婦で亡くなった子どものためのメモリアル品を扱うショップ「soramusubi」を運営し、亡くなった赤ちゃんのための産着を全国の家族や医療機関へ無償で届けています。自分の娘を見送るために作った1着の産着が、なぜ見知らぬ家族へ届ける活動に変わっていったのでしょうか。
梓さん:出産前に、まおちゃんをどう見送るか調べていくなかで、亡くなった赤ちゃんにも産着を着せて見送れると知りました。もともと裁縫が好きだったので、入院するときに生地やハサミを持ち込み、まおちゃんのために産着を縫って、着せてあげることができたんです。
でも、退院後、同じように赤ちゃんを亡くした方のSNSを見ると、亡くなった赤ちゃんにも洋服を着せて見送れると知らなかったお母さんが、たくさんいらっしゃると知りました。市販のベビー服ではサイズが合わず、ガーゼをかけただけでお見送りをし、あとになって「じつは洋服を着せてあげられたんだ」とわかり、後悔している方もいて。その現実を知ったとき、胸が詰まりました。
まおちゃんに作った産着のことをSNSで発信すると「自分たちもそうやってわが子を送ってあげたかった」という声が寄せられたんです。自分が娘にしてあげられたことが、誰かにとっての救いになるなら嬉しい。そう思って、小さな産着を作り、無償で寄付する活動を始めました。
── まおちゃんを見送ったあと、夫婦で「おうち」と呼ぶメモリアルスペースを手作りし、その写真をSNSで発信すると、「自分たちにも作ってほしい」という声が届き、「おうち」の製作・販売も始めました。活動を続けるなかで、当事者の方の声に驚かされたことはありましたか。
梓さん:ありました。私自身は、まおちゃんのお見送りについては、後悔なくやりきったという思いがあって、「みなさんにとってもこれが一番いい形なんだろう」と思い込んでいました。でも、写真を残したい人もいれば、悲しくなるから残したくない人もいる。お骨をずっとそばに置いておきたい方もいれば、納骨することでひと区切りをつけたい方もいました。
自分たちにとって後悔のない見送り方が、ほかの家族にとっても正解とは限らない。そうした声を聞くなかでひとつの正解を決めるのではなく、選択肢を提示して、ご家族自身が選べるようにしたいと思うようになりました。
── まおちゃんのために縫った1着から始まり、1300着以上を届けるまでになりました。それほど多くの家族に届けるようになった今も、「産着は無償で渡す」という形を変えていません。なぜ、そこにこだわり続けるのでしょう。
梓さん:最初から、産着は必要としている方に無償で届けたいと思っていました。産着を探したり、購入できる場所を調べたりすることに時間を使うのではなく、その時間を少しでも赤ちゃんと一緒に過ごしてほしいという思いからです。
産着を無償で提供し続けるために
── ただ、善意だけでは続かないですよね。
梓さん:そうなんです。必要とされる数が増えれば、生地代も送料も費用はかかっていきます。そこで、産着は無償で届ける一方、「おうち」などのメモリアル品を作り、その売上を活動費に回す仕組みにしていきました。購入する方のなかには、以前、産着を受け取ったお母さんもいて、「活動のためになるなら」と言ってくださることもあります。
今は私と10人ほどのボランティアで作っていて、以前、産着をお届けした女性が「私もお手伝いしたいです」と加わってくださることもあります。先輩のママパパから、今必要としているママパパへ。その「思いの橋渡し」を大切にしています。
── かつて子を亡くし産着を受け取ったお母さんが、今度は別の赤ちゃんのために産着を縫う。温かいバトンが手渡されているんですね。いっぽうで、産着作りがつらい過去の記憶を呼び起こしてしまうことはないのでしょうか。
梓さん:人それぞれですが、亡くした子のことを思いながら無心で手を動かすことで、気持ちが落ち着いたり、癒やされたりすることがあります。こうした、大切な人を失った悲しみと向き合うための営みを「グリーフワーク」と呼ぶんです。だから、産着作りには期限やノルマは設けず、「気持ちが動いたときだけでいいです」と伝えています。私自身も、産着を作る時間はすべて「まおちゃんと一緒に活動している」と感じられ、それが癒やしにもなっているんです。
── 現在は夫婦で「soramusubi」の活動をされています。淳さんが活動に深く関わるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
淳さん:活動に関わるなかで、「こんなに多くの方が悩んでいるんだ」と知ったことがきっかけです。目の前の困りごとにひとつずつ応えていくには、中途半端に関わるのではなく、自分もきちんと向き合いたいという思いが強くなり、今は夫婦で活動しています。
── 大きな喪失を経験したとき、同じ夫婦でも「相手は自分ほど悲しんでいない」と感じることがあります。死産後にも、そうした「悲しみの温度差」を訴える声はありますか。
梓さん:ありますね。よく聞くのは「パパはすぐに仕事に戻り、ママはひとりで家に残されることですれ違いが生まれる」という話です。なかには、そのまま別々の道を歩むご夫婦もいます。でも、パパ側から話を聞くと、実際にはパパも悲しんでいて、家族を支えるために仕事に戻っていたという方もいます。表現のしかたが違うだけで心の中では同じように悲しんでいると知り、ハッとさせられることが何度もありました。
私たち夫婦でいえば、まおちゃんの病気がわかってから、何度も話し合ってお互いの気持ちを共有していました。「今しかできないことをしよう」と家族写真を撮ったり、一緒にお見送りの準備をしたりもしました。そうした時間を重ねるなかで、夫も同じようにまおちゃんを思ってくれていると感じていましたし、自分の味方がいることには救われました。
淳さん:もちろんお腹の中で育てていた妻とまったく同じではなかったと思います。でも、僕にとっても初めての子どもでしたし、お腹が大きくなる過程を間近で見ながら少しずつ親としての自覚が芽生えていきました。だから、妻との間に大きなギャップはなかったのかなと思います。