現役引退直後の23年4月に故郷・松阪市の職員に転身した、16年リオ五輪レスリング女子69kg級金メダリストの土性沙羅さん。引っ込み思案な性格から、「自分には指導者は無理」だと一時は別のセカンドキャリアを歩みましたが、その社会人経験が新たな夢の第一歩になりました。
人前で話すことは苦手だとずっと思ってきた

── 現役引退後は地元・松阪市の市役所職員として採用されました。なぜ指導者の道ではなく、市役所という一般職を選んだのでしょうか。
土性さん:当時は自分に指導ができるなんてまったく思っていませんでしたし、地元のみなさんに恩返しがしたいという気持ちが強かったんです。それに、同世代の友人が当たり前に経験している社会人としての苦労を自分も経験すべきだという思いもありました。
── 市役所では具体的にはどのような業務を担当されていたんですか。
土性さん:電話対応や窓口受付、書類作成など、すべてがゼロからのスタートでした。パソコンも大学の卒論以来で、電話の内容を聞き取れなかったらどうしようと最初は不安でいっぱい。スポーツイベントの裏方として動き、小中学生の前で講演することもありました。それまでの支えてもらう側から支える側への転換は、本当に新鮮でしたし、毎日が充実していましたね。

── 25年には市役所を辞め、母校の至学館大学レスリング部のコーチに就任されました。市役所での社会人経験は今の自分にどう繋がっていますか。
土性さん:最初はあんなに苦手だった人前での講演も、回数を重ねるうちに自分の言葉で伝える楽しさに変わっていきました。市役所での経験がなければ、私は今でも人前に出られない自分のままだったと思います。社会で揉まれ、実務をこなしたことで、レスリングとは別の自信を得ることができたと思います。
自分が指導をしたり、人前に出て説明したり話したりすることは、子どもの頃からずっと苦手で私にはできないと思い込んでいました。でも、市役所に入ってから、小学生の前で話す仕事を任され、やらないという選択肢はありませんでした。すごく緊張していましたが、回数を重ねるうちにだんだん楽しくなっていって、レスリングの説明をしたり、自分の幼い頃の話をしたりすることも、意外とできるのかもしれないと思えるようになったんです。
1年、2年と続けるうちに、「今の自分なら指導者としてやっていけるかもしれない」と感じ始めるようになったんです。それに、母校の至学館大学に恩返しをしたい気持ちもありましたし、オリンピアンを育てたいという思いもありました。そうした気持ちが重なって、「やってみたい」という思いが自然と芽生えていったのだと思います。
── そう考えると市役所での経験は人生を変えたといってもいいかもしれませんね。
土性さん:本当に大きな経験でした。それまでアルバイトもほとんどしたことがなかったので、社会を初めてきちんと経験したのが市役所でした。同期とイチから研修を受けて、社会ってこういう感じなんだと26、27歳になって初めて知ることができたんです。それまで通ってこなかった道を歩いて、いろいろ吸収できたことは財産になりましたし、考え方も大きく変わりました。市役所で働いていなかったら、きっと人前に出ることもできないままの自分だったのかもしれません。市役所に入ったことで、自分がさらにレベルアップできたと感じています。
「選手の成長見届けたい」産後は2か月でコーチ復帰

── 土性さんは現役時代の2021年に大学の同級生と結婚されました。競技との向き合い方に変化はありましたか。
土性さん:結婚については「引退しないとできない、あるいはしてはいけない」というわけではないのですが、どこかで節目をつくらないといけないような空気がありました。特に女子はそうで、誰かに禁止されているわけではないのに、以前は暗黙の了解のようなものがあったと思います。私自身も結婚を区切りに次のステージを目指したいと考えていましたが、気づけば26歳になっていて、子どもが欲しいという思いを考えると、ライフイベントがどんどん後ろにずれていく感覚がありました。リオが終わってからも休まずに走り続けてきたので、どこかで区切りをつけようと思い、結婚を決めたんです。
── 現役中は家庭と競技をどのように両立されていたんですか。
土性さん:夫は同じ大学でスポーツをしていたので、私の気持ちをよく理解してくれて、話を聞いてくれたり気持ちをくんでくれたり、いろいろな面で支えてくれました。結婚したからといって家事を全部私に任せるようなこともなく、きちんと分担してくれましたし、夫も元々ひとり暮らしをしていたので家事全般をこなせるんです。無理なく続けられたのは夫の理解があったからこそですね。
── 昨年7月には第1子を出産。その後、わずか2か月でコーチに復帰しました。
土性さん:出産は16時間もかかり、あまりの痛さに「もうやめたい」と思ったほど過酷な経験でした。出産後も育児は想像以上に大変でしたね。夜中2、3時間おきに起きて授乳したり。現役時代から睡眠を大切にしていたので、寝られないということがとてもつらかったんです。改めて世の中のお母さんたちへの尊敬の念を抱きましたね。それでも復帰を決めたのは、選手の成長を自分の目で見続けたいという強い思いがあったからです。