漫画家としての活躍が著しいお笑いコンビ・カラテカの矢部太郎さん。昨年、出版社「たろう社」を設立し、父親である絵本作家・紙芝居作家のやべみつのりさんが描いた子育て日記を『光子ノート』として出版しました。サラリーマンの「モーレツ社員」という言葉が話題になった1970年代から、母親が働きに出て、父親のやべみつのりさんが家で絵を描いていた当時を振り返り「うちの普通がほかと違うことを自然と受け入れていた」と話します。
家で毎日遊んでくれた父「怒られたことはない」
── 矢部さんの子ども時代は、お母さんが外で働き、お父さんが家で絵を描いているのが日常だったと伺いました。家事や子育てはどう分担されていたのでしょうか?

矢部さん:父は絵本作家と紙芝居作家のほかに、週1回、子どものための造形教室「ハラッパ」を主宰していました。母は介護士の仕事がいちばん長かったかな。家では、母が料理をこなしていましたが生協とか宅配も利用していたと思います。父は掃除や洗濯はしていたのかな。あとは一緒に遊ぶことも多かったと思います。
父はのんびりしているところがあって、たとえば、保育園の送迎に三輪車みたいな自転車を使っていて、僕はよく後ろのカゴに乗っていたんですね。でも、園児とはいえ人が乗る場所じゃないので、走っている途中で落ちちゃうわけですよ。それでも父は気づかず保育園まで行っちゃうようなタイプでしたね(笑)。
── お父さんとの距離が近い生活だったんですね。
矢部さん:父が家で絵を描いているのが日常の風景で、僕は父が絵を描くのを眺めたり一緒に描いたり。造形教室もやっていたから、僕も準備を手伝ったりしていました。といっても、父は指導するというような感じではなくて、子どもの前には立たないようにしながら、背中の後ろにまわって、危ないときにだけ手を出すことを徹底していたようです。
僕自身も「こう描きなさい」と指示されたり、怒られたりしたこともなかったです。父は、自分が作った紙芝居を「これどう思う?」って見せてくれたりして、ただ一緒に絵を描いて遊んでいるつもりだったんだと思います。
── 著書『ぼくのお父さん』では、友達から「会社ないの?」と聞かれたお父さんが「ないよー」と答えるシーンが印象的でした。当時、矢部さんはどんな思いだったのか覚えていますか?
矢部さん:うーん。ずいぶん小さかったので詳しくは覚えていないけど、自分の「普通」と、ほかの家の「普通」が違うんだなって思ったのかな。どっちがいいとか悪いとかではなくて、男性と女性の働き方はひとつじゃないとか。友達のお父さんは働きに出る人が多いけど、各家庭でもそれぞれ違いがあるだろうしって。僕は今も「普通」って人それぞれだと思っているのですが、その考え方のもとになっているような気がします。
父はそんなに稼がない代わりにお金を使わない人、みたいなところがあって。つくしを取りに行ったり、なんでも自分で作ろうとしたり。そんな生活が僕も楽しかったですね。でも、この歳になって思うんですけど、たぶんそれってかなり面倒くさいことだと思うんですよ。根気もいるし。そういう意味で父はすごいな、よくやってたなって思います。
── お父さんは子どもと同じ目線で接していた感じだったのかもしれませんね。矢部さんとの毎日を楽しまれていたというか。
矢部さん:そうですね。父はよく「子どもから学ぶことがたくさんある」って言っていて、本気で子どもたちが描く絵や作品から何かを学び取ろうとしていました。すごく熱心に子どもたちが創作する様子を眺めていた記憶があります。逆にいうと、僕にとっては、そんな日々が今の漫画を描く仕事につながっていると思っています。
ある風景を描こうとしたときに、幼い頃の父が描いていた絵の記憶を通して見よう見まねで気づいたらなんか描けてる、みたいなことがあるんです。知らないうちに僕も父から学びとっていたんだと思います。