普通に働くことが、こんなにも難しかった

愛迷みんみん
高校の卒業式。病院から駆けつけてくれた母と

── 社会に出てからは、臨床検査技師として働き始めたそうですが、そのころも「理解されない」という苦しさは続いていたのでしょうか。

 

愛迷さん:はい。働き始めてからも、普通の人とは同じように働けない現実にぶつかりました。

 

私は、幼いころにたくさんの医療者の方に助けてもらった経験から、「今度は私が誰かを支える側になりたい」と考えるようになり、大学では臨床検査技師の資格を取得。フルタイムでは体力的に難しいと考えて、週3回勤務のパートの仕事に就くことに。

 

しかし、実際に働き始めると、長時間立ち続けることが苦しく、体力的にもかなり無理をしました。さらにこのころには、「左腕が上がらない」という後遺症も目立ってきていて…。

 

職場では、私の障害について共有していたので、患者さんの移動をサポートするときには、同僚を呼んで手伝ってもらうようにしていました。でも、あるとき「このぐらいの介助、ひとりでできるでしょ」と言われてしまって。いっけんすると、私は「ただ疲れやすく体力のない人」なのかもしれません。見えない部分にあるつらさや制限を、周囲に理解してもらうことは簡単ではありませんでした。

 

── かなり無理をしながら働き続けていたのですね。

 

愛迷さん:仕事が終わって帰宅すると、もう体が動かなくなるほどの疲労感でした。1日おきに休みを取れるようなシフトを組んでもらっていたので、なんとか6年間働き続けることができましたが、体も心もだんだん限界になってしまって。手の震えなどの症状が現れるようになり、最終的に適応障害の診断をもらいました。

 

普通に働いて生活する。みんなが当たり前にやっていることの難しさを痛感しました。