1歳2か月で希少がん「ユーイング肉腫」を発症した愛迷みんみんさん。治療後も後遺症が残る一方、外見からはわかりにくいため、「元気そうなのに」と理解されずに苦しんできました。学生時代のいじめや社会に出てからの葛藤やみんなに知ってほしいという、「ヘルプマーク」の意味とは。
「見た目は普通」だから理解されなかった学生時代

── 1歳の頃にがんが発覚し、幼少期は病院で治療を続けていた愛迷さん。がん治療の影響で、子どものころから後遺症と向き合ってきたと伺いました。どのような後遺症があったのでしょうか。
愛迷さん:がん治療の放射線を浴び続けた結果、小学生のころから、左側の肺が機能しなくなり、心臓の筋肉の動きも低下してしまいました。また、左腕が動かしにくいという後遺症も残ったため、学校の体育の授業が苦痛で…。走るのもゆっくりだし、すぐに息が上がってしまうので長時間運動することができませんでした。
── 運動がしづらいことで、嫌な思いをしたこともあったそうですね。
愛迷さん:体育でチーム分けをするときには、私と同じチームになるのを嫌がる子が多かったです。「お前と同じチームは嫌だ」と言われたこともありました。「好きで体が弱いわけではないのに」ってショックでしたね。でも、あのころの私は、自分の気持ちを伝えることが苦手だったので、周りからの意地悪な言葉にも言い返すことはできず、ひたすら我慢していました。
── 周囲との違いに苦しんでいた、と。
愛迷さん:そうですね。「みんなと同じように走りたいのに、できない」というもどかしさがずっとありました。中学生になると、靴を隠されたり、悪い噂を流されるなどのいじめに発展して…。高校時代には、私が写った写真の顔に落書きされて、廊下に貼り出されたこともありました。
── 誰かに相談したりはしなかったのですか?
愛迷さん:嫌なことがあっても「我慢すればいいや」と考えてしまう性格だったので、「誰かに相談しよう」という発想にはならず、抱え込んでいました。それに、「自分の体が弱いのも事実。自分も悪いんだ」とも思っていて。
でも、溜め込んでいるうちに、どんどんつらくなるんですよね…。そのうちに「なんで私、生きているんだろう」と考えるようになり、自分を傷つけたこともありました。すぐ母に見つかってしまい、「がんの治療で、たくさんの先生や看護師さんに救ってもらった体なのに、どうして自分で傷つけてしまうの?」と強く叱られました。
── 愛迷さんも、お母さんも、つらかったですよね…。その言葉を聞いたとき、どう感じましたか?
愛迷さん:目が覚める思いでした。母の言葉に、「せっかく助かった命なのだから、粗末にはしてはいけない」と、素直に思うことができて。その後は自傷行為をすることはありませんでした。とはいえ、周りからのいじめは相変わらずだったので、学生時代はひたすら耐える日々。「いじめてくる相手は、まだ心が子どもなんだ。しょうがない」と自分に言い聞かせながら過ごしていました。
今振り返ると、一番つらかったのはどんな悪口よりも「理解してもらえないこと」だったのかもしれません。私だって、みんなと同じことができるのならしたい。でもできないから仕方がない。その気持ちをわかってもらえないことが、学生時代の私の心を傷つけていたんだと思います。