10年ぶりの帰国、周囲の冷笑「腹を括った」
── ご自身の決断とはいえ、人生の方向性が大きく変わった出来事です。住職になることをきちんと受け入れるまで、葛藤はありましたか?
英月さん:「弟のせいで大変になった」とは絶対に言わないでおこうと決めて帰ってきたんです。でも、家出して右も左もわからないアメリカに渡り、ゼロから住むところも仕事も英語の勉強も始めたばかりのときよりも、生まれ育った日本に約10年ぶりに帰ってきたときのほうがよっぽどつらかった。
「弟さんが急に寺を出られて大変やったね」と心配して声をかけてくれる方もいましたが、目は笑っているんですよね。つい他人の不幸は楽しいのかと思ってしまう。しかしそれに気づくというのは、私にもそんなところがあるということです。自分を含めて、人間の姿というものを知らされました。
そんなときに救われたのが、帰国後すぐに本山佛光寺での研修で聞いた、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の「浄邦(じょうほう)縁熟(えんじゅく)して、調達(じょうだつ)、闍世(じゃせ)をして逆害(ぎゃくがい)を興ぜしむ」という言葉でした。
ザックリいうと「浄土の縁が熟したから、提婆達多(だいばだった)が阿闍世(あじゃせ)という王子をそそのかし、父王を殺させた」となります。お釈迦さまの時代にあった「王舎城の悲劇」といわれる有名な事件です。けれども親鸞聖人は「悲劇」とは受け止めなかった。ただ「浄土の縁が熟したから」だとしか書いておられない。
軽々に私自身と重ねてもいけませんが、「弟のせいで」とは言わないでおこうと心に決めていたということは、反対にいえば、弟のせいだと思っていたのです。10年近く異国で苦労し、いよいよこれから!というときに、こんな目にあわされて、と恨みつらみです。志高く帰ってきたけど、実際は大変がてんこ盛り。何てことをしてくれたんだと、悪態もつきたくなります。それは偽らざる私の気持ちですが、気持ちは簡単に変わります。では事実は?「浄土の縁が熟した」です。その事実に私は救われたのです。
なぜそれが救いになったのか。なぜなら私にとっては悲劇でも、
── その後、具体的にはどのようなことをされましたか。
英月さん:当初の計画では就職をしてお給料をもらい、そのお金でお寺を維持し、仕事がお休みのときにお寺のことをしようと考えていました。けれどもそれでは仕事もお寺も、中途半端になってしまいます。そこで両親に「3年間だけ食べさせてほしい」と頼みました。
その間、あちこちで行われている勉強会に足を運び、また大学の聴講生として学びました。その中で師との出遇いがあり、大学院に入学しました。とはいえ短大卒業なので受験資格がなく、まずは通信制大学の3年次に編入して大学を卒業し、やっと受験することができました。そうして心おきなく学ぶことができた大学院生活は、人生のご褒美のような時間でした。今年の3月に修士課程を修了し、今はまた聴講生として通っています。
さて、日本帰国当初のことです。仏教の教えが目からウロコの感動の連続だったのでSNSで発信をしていたら、週刊誌の取材があり、今でいうプチバズリをしました。その後、バラエティ番組や講演会、本の執筆など、いろいろなご縁をいただき今に至ります。