寺に生まれ育ち、20代の頃はお寺の方との縁談を進められて35回以上もお見合いをさせられたという英月さん。心身を病んで渡米し、アメリカで骨を埋めようと思った矢先、跡取り候補だった弟がお寺を出たことで人生が一変します。帰国して住職になり現在15年。波瀾の半生を振り返り、今思うことは──。

お見合い地獄から逃げたアメリカで弟から…

英月
講演会の様子

── 京都の大行寺で生まれ育ち、寺同士のお見合い結婚が当たり前だった家庭環境から、親の勧めで29歳までに35回以上ものお見合いを続けてきた英月さん。しかしストレスで耳が聞こえにくくなり、逃げるように渡米。当初は英語すら話せない状況で、生活は困窮していたそうですね。

 

英月さん:渡米当初、生活は本当に大変でしたが充実していました。アメリカに骨を埋めるつもりでしたので、いくつもの仕事を掛け持ちしながらお金を貯め、カレッジ(大学)に行きました。仕事も徐々に安定していき、香港に出張に行った帰りに日本に立ち寄るなど、忙しくも楽しい日々でした。

 

友人の猫ちゃんの葬儀を勤めたことで始まった「写経の会」は、回を重ねるごとに参加者も増え、いつしか「お寺をつくろう」という声が出るようになりました。そして、それを支える仲間も増えていきました。10年近く暮らすうちに、逃げた先のアメリカが、私にとっての居場所になっていったのです。

 

── ところが、実家のお寺を継ぐはずだった弟さんが「辞める」と、突然の宣言をされて状況が一変します。

 

英月さん:弟から「お寺が嫌だから出ていくので、お姉ちゃん、あとはよろしく」と電話口で言われました。青天の霹靂、衝撃でした。生まれたときから跡取りという立場だった弟は、私にはわからないプレッシャーの中にいて、頑張ってくれていたとは思いましたが…。お寺をつくる計画が動き出していたので、「どうすんの?」と。 

 

── 親に敷かれたレールを歩くことを拒み、アメリカに逃げてきて10年。それでも帰国して実家の寺を継ごうと決意されたのはなぜですか?

 

英月さん:両親の背中を見ていたからです。公務員をしながら働いたお金でお寺の維持修理をし、時間も情熱も注いできた寺という存在は、両親にとってはある意味、趣味であり、また人生のすべてともいえます。その場所を私も大事にしたいし、ご門徒(檀家)さんへの責任もある。そして両親にとって大事な場所である寺で、看取りをしたいと思ったからです。 

 

とはいえ、お寺の維持にはお金がかかる。志高く日本に帰国したとて、39歳を目前にして独身無職。仕事を探さなければなりません。おまけにアメリカ生活約10年でなくなった、日本での社会的な繋がりをゼロから始めなければならず、無謀といえば無謀でした。

 

── そんな英月さんに、ご両親は何と?

 

英月さん:「飛行機代も引っ越し費用もすべて出す」と言ってくれましたが、断りました。なぜなら、そのお金を受け取ってしまったら、もし後々大変なことが起こったとき、「親のために帰ってきたからこんなことに」って、思ってしまうかもしれない。自分の人生を「誰かのせいでこうなった」と思いたくなかったんです。帰国はあくまでも私が判断し、決断したこと。だからアメリカで働いたお金で帰国して、日本での一歩を踏み出したかったんです。些細なことかもしれませんが、違いを生んだと思います。