鳩の餌だと思っていたものが、私の命を繋いだ

── では、まずどんな行動を起こされたのですか。
英月さん:アメリカに行って初めて知らされたのですが、たとえどんなに素晴らしいアイデアや考えを持っていても、相手に伝わらなければ何の意味もない。英語を話すことができなければ、「こうしたほうがいい」と意見を言っても理解されないどころか、話も聞いてもらえない。そこでまずは語学学校へ行き、それこそ「This is a pen.」から学びました。
それでも、英語が話せるようになるまでは道で声を掛けられても「この人、何言っているのかわからない」となると、みんなスッと逃げていくわけです。それが悔しくて。「私はアホじゃない。英語が話せないだけ!」と、よく言い返しました。
── 英語を身につけてからは、どんな仕事をされるようになりましたか。
英月さん:最初の仕事はテレビCMなどモデルのようなことをしていましたが、ウエイトレスや日本語教師、おせち料理を作って売ったこともありました。アメリカで生きていくためには、まずビザが必要になります。私は寺の娘だったので、ビザのために僧籍を取得。友人のペットだったネコのお葬式をしたことを機に「写経の会」を始め、そこで仏教の教えを知らされました。この「写経の会」は今も続いています。
── アメリカでの生活で、今に生かされていることはありますか。
英月さん:お金がなかったことですね。お金がないからこそ経験できたことはたくさんあります。親はお金がなくなったら帰ってくると思っていたので、兵糧攻めにしてくる。仕送りはいっさいありませんでした。だからこそ、30歳になって1ドルのありがたさ、初めてパン1切れのありがたさを知りました。
カフェで働き始めたときに、「お腹が減ってふらふらする」と伝えたら、サンドイッチ用のパンの耳を渡されたことがあったんです。パンの耳って昔、寺の向かいの本山佛光寺で鳩にあげていたものだから、私の中では「パンの耳は鳩の餌」というイメージが強くて…。でも食べたらおいしい。当たり前のことですが。
アメリカで生活できたのは、お金があったから。そのお金が得られたのは仕事があったから。仕事を得るのに学歴が必要だったら、日本で学校に行かせてくれた親のおかげ。誰かの紹介で仕事を得たのであれば、その人のおかげ。つまりパンの耳が私の口に入るまでの、背景に気づかされたんです。と同時に、鳩の餌だと思っていたものが、私の命を繋ぐものだったと知らされました。
── 極貧生活での印象深い思い出はありますか。
英月さん:お金がなくて食べられないときがあったからこそ、生きていくのにパンが大事だということを身にしみて知らされました。と同時に、人はパンがあっても生きていけないことをも知らされました。言い換えると、食べ物やお金がなければ幸せではないかもしれない。けれども食べ物やお金が十分にあっても、幸せとは限らない。何が本当の幸せなのか?大事な問いです。