「プロレスラーらしく人とは違う挑戦を」に奮起し
── 受験資格が「高卒以上」だったのですね。その時点で高校は卒業されていなかったと。
大原さん:はい。僕は中学卒業後、服部栄養専門学校に進んだので、最終学歴は中卒だったんです。というのも、当時通っていた元プロレスラー・高田延彦さんの道場で料理の腕を磨くことの必要性を痛感したからでした。とはいえ、せっかく目標ができたのに、このままじゃスタートラインにすら立てないと知り、愕然としました。
そんなとき、たまたま卒業した中学校の70周年記念の特別授業を依頼されました。僕は中学生で「プロレスラーになる」と決めてから、授業を受けずにトレーニングばかりして、とんでもない学生生活を送っていました。だから、その特別授業では「僕みたいにならないように」という話をしたんです。その授業のあと、校長先生と雑談をしていたときに「高卒の資格がほしいから大検を受検しようと思う」と話したんですよ。そうしたら、校長先生から突然「それなら定時制高校に通いなさい」と言われたんです。
でも、プロレスの巡業を休むなんて選択肢はなかったので、「毎日夕方4時から9時頃まで学校にいられるはずがない、不可能だ」と思って。そのことを正直に伝えると、校長先生は「あなたはプロレスラーなんだから、人とは違った挑戦をする姿を見せなさい」と言われました。その言葉に、「たしかにそうだな」と妙に納得したんです。それで思いきって、32歳で定時制高校に入学することにしました。
── 定時制というと、いろんな年代の方が学びにきている印象ですが、実際はどうでしたか?
大原さん:僕もそう思っていたんですが、同級生のほとんどが、中学校を卒業して進学した子でした。特に僕のような30、40代の働き盛りの年代っていなくて。働きながら学ぶってやっぱり簡単じゃないんだなと実感しました。
先生方も若くて、半分以上が僕よりも年下だったと思います。それもあって、僕のクラス内の立ち位置は、いち生徒というよりは副担任のような感じ。同じクラスの子たちとLINEグループでつながってオンラインゲームをしたりもしたけど、どちらかというと先生たちとのほうが仲がよくて、居酒屋で三者面談をやったことも(笑)。高校時代のいちばんの思い出です。

── 懸念していたプロレスラーの仕事との両立はいかがでしたか?相当、大変だったのではないでしょうか。
大原さん:そうですね。今から10年前、まだ30代前半だったから、当時は試合にもたくさん出ていたんです。事務所に若手が増えて、大事な時期だったこともあり、基本的には休みなし。全国の巡業にも予定通り参戦していました。プロレスの比重を変えないぶん、学校の単位が取れるかビクビクしながらの3年間でしたね。いつも試合の日程が発表されるときは、学校のスケジュールとバッティングしないかとヒヤヒヤしてました。
四国でプロレスの試合に出て、神奈川の高校の授業に出て、すぐ大阪の試合に向かって…みたいな感じで、本当にギリギリの状態でしたが、なんとか3年間で卒業することができました。定時制高校に通っていたときは、テスト勉強もけっこう頑張っていて、成績もわりとよかったんですよ。でも、大学に比べたらまだ楽だったなと今は思いますね。