「自分だけ、みんなと同じようにできない」。交通事故で右腕を失いながらも、日本初の義手の看護師として看護の世界に戻った伊藤真波さん。絶望のなかの希望の光だった看護の現場で直面したのは、片腕ゆえの厳しい現実でした。しかし、就職した病院で伊藤さんは人生を大きく変える、ある気づきを得ます。

「自分だけできない」看護の現場で突きつけられた現実

伊藤真波さん
日本初の「義手の看護師」として復学した伊藤さん

── 20歳のときのバイク事故で、右腕を損傷し、切断することを決めた伊藤さん。その後、看護学校から「作業用の義手を使うこと」を前提に復学を許されました。日本で初めての義手の看護師として看護の現場に戻り、どのようなことを感じていましたか?

 

伊藤さん:右腕を失い、絶望のなかにいた私にとって「復学すること」は希望の光でした。ただ「本当にやっていけるかな」という不安もあって…。

 

作業用の特殊な義手を作ってもらい復学することになりましたが、初めは義手を使いこなすことが難しく、「片腕」を強く意識させられる場面が多かったです。それでも「ここ以外、自分の居場所はない」という覚悟で、できることは全部やろうと毎日、必死でした。

 

── 片腕の厳しさは、どのような場面で強く感じましたか?

 

伊藤さん:当時は、病院での実習が多かったのですが、たとえば、横になった患者さんの体の向きを変える介助では、どうしても両腕が必要になります。義手だとスムーズに寝返りをうたせたり、起き上がらせたりすることができず、いつも誰かの手を借りることに。産婦人科での実習のときも、「あなたに抱っこされると、お母さんは不安に思うから」と、私だけ赤ちゃんに触れさせてもらえませんでした。

 

ほかの人はひとりでできることを、私だけ誰かに手伝ってもらわなければいけない。ほかの人は当たり前にやらせてもらえることを、私だけがやらせてもらえない。安全面での配慮なのでしょうが、実習先では常に誰かが私について「見張っている」ような状況でした。

 

「自分だけ、みんなと同じようにできない」。その現実に直面するたび、無力感に苛まれました。