「お母さん、ごめんね」。トラックとの事故に遭い、重傷を負った伊藤真波さん。アスファルトに横たわりながら、震える手で母にかけた電話で彼女の口からでた言葉は、バイク通学に反対していた母への謝罪でした。激痛を伴う治療の末、右腕の切断を決意した20歳。仕事も恋愛も結婚もすべて「諦め」た絶望の先で、彼女がすがったものとは。

「トラックが目の前に」事故の記憶はそれだけ

伊藤真波さん
事故に遭う前の伊藤さん。看護師を目指して専門学校に通っていた

── 伊藤さんが事故で右腕を失ったのが20歳のころと伺っています。当時、看護師を目指して専門学校に通っていたそうですね。

 

伊藤さん:事故に遭ったのは、バイクで看護実習に向かう日の朝でした。

 

看護師を目指したきっかけは母です。幼い頃、3人の子どもを育てる忙しい母の姿を見て育った私は、「自分も何かの力になりたい」と考えるようになりました。その気持ちがいつしか「人の役に立つ仕事がしたい」という思いに繋がったんです。事故は、そんな看護師を目指して学校に通う矢先の出来事でした。

 

── 当時のことは覚えていますか?

 

伊藤さん:「トラックが目の前にある」。事故の瞬間の記憶はこれだけです。気づいたら道路に倒れていました。ただ、そのときの私は、「ぶつかった」のではなく「転んだだけ」だと思っていたんです。

 

だから、周囲が騒然とするなか、私は携帯電話を取り出して、母に電話をかけました。「お母さん、ごめんね。事故っちゃった」。そう伝えたつもりでした。ですが、私の顔面は事故で大きく損傷しており、母にはほとんど言葉は伝わっていなかったようです。

 

母はもともと「危ないから」と、バイク通学には反対でした。母の心配をよそに、私はバイクに乗り続けてしまった…。反対を押しきっていたからこそ、咄嗟に出た言葉は「ごめんね」だったのだと思います。

「腕だけは残してほしい」逃げ場のない治療の日々

── トラックとの衝突事故…。かなり深刻な状態だったのではないでしょうか。

 

伊藤さん:顔から体まで、何か所も骨折しましたが、一番ひどかったのが右腕でした。トラックのタイヤに巻き込まれ、皮膚の中にオイルや砂利が入り込んでしまっていたんです。それを取り除く処置に何日もかかったのですが、それが本当に過酷で…。麻酔が効かないほどの痛みで暴れてしまい、押さえつけられながらの処置は今、思い出しても本当につらい。「お母さん、助けて」と絶叫し続けました。

 

実は医師からは「右腕の切断」という選択肢も提示されていたんです。でも「腕がなければ看護師になれない」からと、「どんな治療にも耐えるから、腕だけは残してください」と医師にお願いをしていました。だから、痛みを理由に逃げることはできなくて。「やめてください」とは言えませんでした。