「生きているだけで儲けもの」。そう自分に言い聞かせても、鏡に映る姿を直視できるまでには3年の月日を要しました。2019年に両側乳がんを告知され、両胸を失った阿久津友紀さん。事実婚のパートナーに「捨てられるかもしれない」と怯え、今なお副作用の発汗に悩まされる日々。がんを「ギフト」とは呼べない。そんな彼女が、あえて軽やかなタイトルで自らの病と生きることを語り続ける、本当の理由を伺いました。
乳房再建の手術前日に機器の不備が見つかり
── 2019年に両側乳がんが発覚し、手術で両方の乳房を切除されました。術後、初めて鏡の前に立ったとき、どんな思いでしたか。
阿久津さん:「あ、(胸が)ないね」と…。ショックは大きかったです。手術の傷跡も生々しく残っていて、しばらくは直視できませんでした。今でも朝起きたときや寒い日、風が当たると古傷が痛むことがあって、皮膚が引きつる感覚も消えません。お風呂で平らになった胸に触れるのが嫌だと感じる瞬間もいまだにあります。
でも、こればかりはどうしようもない。「生きているだけで儲けもの」と、自分に言い聞かせて今の体と向き合っています。
── とはいえ、その現実と折り合いをつけるまでには、かなりの時間を要したはずです。
阿久津さん:2年半から3年ほどかかった気がします。自分の闘病をテーマにドキュメンタリー番組を制作していた頃は、まだ葛藤の真っ只中にいました。映像を編集しながら自分の体を見るのがつらくて。治療もしんどく「なかなか元の生活に戻れないな」と、ジレンマを感じながら過ごしていました。
精神的に整理がついたのは、その後に本を出版したタイミングです。自分の身に起きた乳がんのことをひとつずつ振り返り、自分が何に困り、何に傷ついていたのかを言葉にしたことで、ようやく「次に進まなきゃ」と思えるようになりました。

── 当初は、乳房切除ではなく、インプラントによる乳房再建を予定されていました。
阿久津さん:全摘による喪失感をやわらげるために、乳房再建用の人工乳房(ティッシュエキスパンダー)を入れる準備を進めていたんです。ところが、手術を翌日に控えたタイミングで、保険適用されていた唯一の製品に発がん性のリスクがあるとして、世界的な自主回収が決まりました。突然「使えない」と告げられ、ショックで泣き崩れました。
医師からは「温存」という選択肢も提示されましたが、診察室にいた夫に相談すると「これから先、長く生きることを一番に考えたほうがいい」と言われました。その言葉で再建はあきらめ、その場で全摘を決意しました。
別の方法での再建も考えましたが、退院後だと、両胸のため追加手術を2回も受けなければなりません。胸の喪失感よりもこれ以上、自分の体を傷つけるほうが耐えられないと思ったこともあります。