倒れた父が震える手で書いた「愛人への送金リスト」

── その後、臨床検査技師の資格を取得。しかしお父さんの建設会社で働くようになったことが人生の転機になったそうですね。

 

池田さん:父があまりにもワンマン気質で、事務や経理の人が居つかなかったんです。「これだけ給料を払うから、来ないか?」と私に白羽の矢が立って(笑)。2年勤めた病院を辞めて父の会社に入りました。父とはその後も晩年まで縁がつながり、結局、最期を看取るまでそばにいました。

 

── お父さんは晩年も女性関係が華やかだったのですか?

 

池田さん:すごかったですよ(笑)。父が80歳で脳溢血で倒れたのも、私より若い女性の家でした。病床の父に呼ばれて行くと、口はまだ回らないのに「書くものよこせ」って身振り手振りで言ってくるんです。震える手で紙に書いたのは、各地にいる女性たちへの送金指示でした。「どこどこにいくら持って行ってくれ」って。

 

── 娘である池田さんに、愛人への送金を託したのですか?

 

池田さん:そうです。「本当に面白い人だな」と思いましたね(笑)。女性たちだけでなく、私の他にもいた6人の子どもたちと本妻にも、お金を割り振りする手続きを私がやりました。その後、父は半身不随になって会社の経営が難しくなると、父の代わりに私が会社を陰ながら支えるようになりました。

梅沢富美男が「俺なら逃げ出す」と驚いた、数百億円の借入金

梅沢富美男・池田明子
夫の梅沢富美男さんからプレゼントされたバラと共に

── 20代で、いきなり数百億円規模のプロジェクトや負債を動かす立場になったのですね。

 

池田さん:本妻には養子である長男がいて、その方とも一緒に働いていました。とても優しい方で一生懸命でしたが、父が倒れたときに「あきちゃん、僕の給料はどこから出るの?」とおっしゃって…。本来なら長男であるその方に頼れると良かったのですが、そこで初めて「これは私が腹をくくるしかない」と覚悟しました。

 

当時、父はデベロッパーとしてマンションを建設していて、動かすお金も、銀行からの借入金も膨大でした。後にそれを知った夫(梅沢富美男さん)からは「すごい額を借りてるんだね。俺だったら追いつめられるかもしれない」と言われましたね。

 

父が亡くなってからは私が会社を縮小して、なんとか社員にきちんとお給料を払えるようにしました。父が倒れたときに一緒にいた女性も「行くところがない」というので、しばらくは雇っていましたね。最終的には大手の商社に今でいうM&Aというかたちで引き継がれ、社員もそちらの会社に移ることができ、私自身は身を引きました。