「各地の女性たちに、お金を届けてほしい」。倒れた父が震える手で娘に託したのは、数人の愛人への「送金リスト」だった。俳優・梅沢富美男さんの妻、池田明子さん。置屋で育ち、5つの家庭を持つ父の看取り、さらには巨額の負債を背負うなど、その半生は「逃げ出したい現実」の連続でした。なぜ彼女は、降りかかる理不尽を「面白がること」ができたのか。世間の「正論」に縛られず、目の前の重荷を自分の強さに変えてきた池田さんの原点。それは、正解のない毎日をしなやかに生き抜くための、知的な覚悟に満ちていました。

 5つの家庭を持つ父、置屋に響いた「火打ち石」の音

池田明子
臨床検査技師の国家資格を持つ池田明子さん

── 芸者だったお母さんのもと、置屋で生まれ育ったそうですね。

 

池田さん:幼少期はとても賑やかでした。置屋では住み込みのお姉さんたちが大勢いて、出勤するときには祖母が清めのための火打ち石を「パンパンっ」と打って送り出す。そんな光景を今でも覚えています。母が置屋を経営するようになったのは、父と出会ったのがきっかけでしたが、その父が、今思うと常人離れした人で…。

 

── お父さんは既婚者でいらっしゃったとか。

 

池田さん:第二次世界大戦ではビルマ戦線に召集され、命からがら生還した経験のせいか、どこか超越しているというか。少し変わった人だったんです。

 

母と一緒になった当時、本妻を合わせてすでに3つの家庭を持っていましたので、母は未婚のまま私を産み育てました。父は地方での仕事が増えるたびに、現地でも家庭を築いていたようです。最終的には、4つか5つの家庭があったと思います。当然、父と一緒に住むことはできませんでしたが、頻繁に会いに来てくれました。

 

── そうした境遇から、小学校ではいじめに遭うなど、つらい経験をされたそうですね。

 

池田さん:いじめっ子から「芸者の子!」とからかわれることはありましたが、不思議と寂しくはなかったんです。実はほどなくして、母が養父となる別の男性と結婚しました。大学の講師を務める良い方で、「これからは女性でも国家資格があったほうがいい」と私に勧めてくれて。おかげで臨床検査技師を目指し、大学に進学できました。

 

── 順風満帆のように聞こえます。

 

池田さん:ところがまた紆余曲折があり、母と養父がうまくいかなくなって離婚することに。学費の支払いに困難が生じました。そんなとき、芸者をしていた叔母のもとに父がたまたま訪れたんです。「明子はどうしてる?」と聞かれた叔母が事情を話すと、父が私の学費を援助してくれるようになりました。