「養われたい」と思っていたのに、「支える」側へ
── 現在は植物療法やハンドケアのスクールを経営されていますが、仕事の面白さに目覚めたのはお父さんの会社での経験からですか?
池田さん:そうですね。実は若いころは、「働きたくないから早く結婚をしたい。誰かに食べさせてもらって家庭を守りたい」と思っていたんです。母や叔母が私に対して日頃そのように言っていたことも影響したのかもしれません。ところが、思いがけず父の代わりに会社を動かす経験をするうちに、その価値観がガラリと変わりました。「仕事って面白いな」と。
── 梅沢富美男さんとの出会いも、お父さまとの縁だったそうですね。
池田さん:最初の出会いは夫の舞台を友人と観に行ったときでした。大衆演劇は「送り出し」と言って、終演後のロビーで役者がお客さんのお見送りをする習慣があるんです。そこで夫に当時、父が経営していた自由が丘の飲食店の話をすると、後日、本当に来てくれて。そこから私たちと交流を持つように。夫の曲「夢芝居」がヒットしたときには、父が「富美男くん、うちのお店を使っていいよ」と、経営していたクラブでレコード会社の方を招いたパーティーを開くなどしていましたね。
── ということは、出会いからほどなくして交際へ?
池田さん: いえ、当時は仕事を手伝う「知人」でした。夫は30代で売れに売れていましたが、実は「税金」というものをよく知らなくて(笑)。突然、入ってきた大きな収入を全部使ってしまい、翌年の納税額に驚いたそうです。知人の税理士さんから「経理が得意なら手伝ってあげて」と提案され、経費精算や事務所設立、果ては前妻との離婚慰謝料の手続きまで私がやることになりました。
── 慰謝料の手続きまで。そんな相手と、後に夫婦になると思っていましたか?
池田さん:思わなかったですね。20代のころは結婚願望がありましたが、30代になっていた当時は結婚して子どもを産むことになるなんてまったく思っていませんでした。母からも「子どもを持たない苦労もあるけれど、子どもを持つことも苦労になる」と言われていましたしね。
── そんななか、34歳でご結婚されます。
池田さん:経理などの事務だけでなく、海外ロケなどの仕事に同行するようになりました。あるときのスペインでのロケの帰り道、トラブルで夫と私だけで帰国しなければならないことがありました。しかも渡されたチケットは乗り継ぎ便で、経由地はモスクワ。乗り継ぎ時間もギリギリで。飛行機嫌いの夫が「生きた心地がしない…」とパニックになるなか、私が夫の手をひき、なんとか日本行きの飛行機に間に合わせたんです。
夫は私のことを「頼りになる」って確信したんでしょうね。後日、別の飛行機に乗っているときに、「結婚しない?」って言われました。
──「頼もしさ」がプロポーズに繋がったのですね。当時から梅沢さんは人気で、恋も多い方だったと思います。不安はなかったですか?
池田さん:不安はありましたよ。「多分、浮気はするんだろうなぁ」というのは思っていました。それでも、「人生で結婚するという機会があるなら、選んでみようかな」と思い、決めたんです。
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5つの家庭を持つ父、愛人への送金、そして巨額の借入金…。次々に降りかかる「想定外の重荷」を、池田さんは絶望するのではなく、淡々と、時に面白がりながら自分の力に変えてきました。
もしあなたがいま、逃げ出したいような理不尽や、誰かに頼られすぎる重圧の中にいるとしたら。その「重荷」の先に、自分でも気づかなかった「新しい自分」が待っているのかもしれません。あなたは今、背負っているものをどう感じていますか?
取材・文:石野志帆 写真:池田明子