「幼少期は、僕の漫画のような幸せばかりではなかった」。家族の絆を温かく描き、日本中を泣かせてきた鉄拳さん。しかしその原風景にあるのは、小3で母を亡くした絶望と、わずか1年後に「再婚」を焦る父への激しい不信感でした。母の葬儀の日、実感がわかないまま電柱に石を投げ続けていた少年。大人には不謹慎に映るその行動も、巨大な「死」から心を守るための、子供なりの防衛本能だったのかもしれません。再婚を望む父と、母との歩幅を守りたかった息子。パラパラ漫画の行間には描かれなかった、あまりに切実な「漫画とは違った」家族の肖像に迫ります。
受け止められるまで「数年」かかった母の死

── 鉄拳さんといえばこれまで数々のパラパラ漫画で、たくさんの人を感動させてきました。家族をテーマにした漫画が多いと思いますが、ご自身の経験がモデルなのでしょうか?
鉄拳さん:参考にすることもありますが、現実は漫画のような幸せな思い出ばかりではありません。僕が小学3年生のときに母をガンで亡くしてから、父との関係は長く気まずい時期が続きました。今では帰省するたびに食事や旅行をするなど円満な関係ですが、そこまでの道のりは長かったと思います。
── お母さんとの記憶で、今も鮮明に残っているものはありますか。
鉄拳さん:母は病弱で、僕が小さいころから入退院を繰り返していました。でも、たまの外出の記憶はよく覚えています。ピクニックへ行くと、父と兄はスタスタ先へ行ってしまうのですが、僕は歩くのが遅い母に合わせて少し先で待っている。すると母がとても嬉しそうにするんです。スキー場でも、滑りに行く二人を尻目に、僕と母は喫茶店でおしるこを食べていました。そんな、二人だけの歩調の記憶を、よく覚えています。
── お母さんが亡くなったときのことは。
鉄拳さん:隣のおばさんから聞きました。最初はまったく信じられず、兄と二人、自宅前の電柱に石を投げて気を紛らわせていました。葬儀の間も、母親が亡くなったことを頭では理解していても、感情が追いつかずにすぐには実感がちっともわかなくて。 本当に亡くなったのだと理解して、布団の中で思い切り泣けたのは、数年経ってから。かなりのタイムラグがありました。