朝5時の「盗み見」特訓。チャンスを掴み取ったメジマグロ

── 仕組み作りだけでなく、自分自身も「魚をさばきたい」という思いがあったとか。

 

森さん:でも父はなかなか包丁を持たせてくれませんでした。少しでも魚に触れたくて、本社の1階にある魚屋の加工場に朝から出勤し、ECの梱包作業をしながら、父の手元をこっそり盗み見して家で猛練習しました。そこから、少しずつ上達し、現場でも小さな魚はたまに触れさせてもらえるようになりました。

 

そんな時期に、たまたまテレビの密着取材で「森さんが魚をさばいているところを撮らせてください」と言われ、父がいつもの小魚ではなくて「お前このマグロを捌いてみろよ」とメジマグロを渡してくれたんです。

 

── 思わぬチャンス到来ですね。お父さんも「きっとさばけるだろう」という確信がどこかであったのでしょうか。

 

森さん:父は私が家で練習していることをたぶん知らなかったので、おそらくその場のノリで、ちょっと面白がって私を試しただけだったと思います。

 

でも、私にすれば大物をさばかせてもらえるチャンスでした。今までの成果をぶつけるつもりでトライしたところ、結構うまく下ろせたんです。父も驚いていました。そこからようやく父から、いろんな魚に触れ、包丁を握らせてもらえるようになったんです。恥をかくことを恐れず挑戦したことで、少しだけ自分を認めてもらう転換点になりました。自分から動かなければやりたいことは手に入らない。「古い」と切り捨てるのではなく、その中に飛び込んで泥にまみれる。その覚悟があって初めて、伝統は未来へ繋がる武器になるのだと実感しています。

 

 

「正論」というのは、場所を変えると正解ではなくなることがあります。

 

A4用紙4枚の手紙を無視され、包丁さえ持たせてもらえなかった日々。それでも森さんは、朝5時の加工場に立ち、父の技を盗み、泥臭く居場所を切り拓きました。守るべき伝統と、変えるべき仕組み。その狭間で葛藤しながら彼女が鍛え上げたのは、筋肉だけではありません。「正論」という武器を一度捨ててまで、守り抜きたい宝物があなたにはありますか?

 

取材・文:西尾英子 写真提供:森朝奈