「史上最大級の美女」として注目を浴びた『幸せ!ボンビーガール』から数年。武尊選手の妻となった川口葵さんは、かつて3年で200回のオーディションに挑んだ努力家でした。ひとり親家庭の長女として育った彼女を突き動かした原動力。そして戦う夫を支えながら「いつか夫婦でCMに」と、ふたりが描く新しい夢の形を伺いました。
「ボンビーガール」200回の落選の果てに
── いつごろから芸能界デビューを目指していたのですか。
川口さん:ドラマ『コンフィデンスマンJP』で主演をつとめた長澤まさみさんに憧れて、「長澤さんみたいな演技ができたら楽しいだろうな」と思ったのがきっかけでした。高校3年生で進路を決める際に「将来自分がしたいことってなんだろう」と考えたときも芸能界に入りたいということしか思い浮かびませんでした。

── 芸能界を目指して、どのようなことから動き始めましたか。
川口さん:高校に通いながらボイストレーニングに通い、オーディションを受け始めました。高校卒業後は、働きながらオーディションを受けていました。実家は兵庫なのですが、上京するにはまずお金が必要だと思ったんです。
── どんな仕事をしていたのですか。
川口さん:競艇場の受付と、飲食店で働いていました。結構忙しく、海外の方が多く来るお店だったので声を張って頑張っていました(笑)。
── 大声を出しているイメージはあまりないので意外でした!
川口さん:外国のお客さんが多いお店だったので、話しかけられてもわからないことが結構あって。笑ってごまかしながらも、声は出していましたね。コロナ禍だったのもあって上京してすぐにアルバイトを見つけるのも難しいと思い、100万円あったら何か月かは生活できるだろうと思って、とにかく夢のために100万円貯めることを目標に仕事を頑張っていました。
── 若くして堅実ですね。
川口さん:母がひとりで育ててくれたのもあって、お金の大切さを感じていたことは大きかったと思います。私は3人きょうだいの長女で、家にお金を入れて母に楽をさせたいと思っていたのも夢を叶えるための原動力でした。母は、仕事が終わったら家に帰って私たちに食事を作り、家事をして、そしてまた次の日の朝が来て、という繰り返しだったように見えました。私たちは転校もしたので、子どもが新しい環境に馴染めるかどうかも心配だったと思いますし、働きながら母ひとりで3人の子どもを育てるというのは、子どもながらに大変なんだろうと感じていました。
── 10代で、遊びに行きたい場所もあったと思いますし、ファッションやメイクにも興味がある時期ですよね。
川口さん:周りは大学生で夕方からの勤務の人が多く、日中は同い年の子がいなくて時間が合うことがあまりありませんでした。仕事が終わってから友達とマクドなどで少し話したりするのが息抜きのひとつでしたね。ほかは、お金を使うとしてもお洋服代くらいで、月にいくら貯金に回すというのも自分で決めて、コツコツ貯めてきました。働きながら3年間で200回ものオーディションを受けたのですが、落ち続けていましたね。でも、絶対に諦めないという気持ちだけで受け続けました。