「これ売れないかも?」と不安になったけれど

喜矢武豊
喜矢武豊さん

── 売れていないときに、焦りのようなものはありましたか?

 

喜矢武さん:なかったですね。「まぁ、そのうちなんとかなるだろう」くらいの感じでした。バンドを結成した当初は、売れる確信があったんですけどね。鬼龍院翔という、めちゃくちゃ変な奴がいて、こんなバンドはほかにはないから売れるかもしれない!と思っていました。

 

でも活動を続けているうちに、だんだん「あれ?これ売れないんじゃないか」と感じ始めて。それでもライブではお客さんにウケてたので「ほかにはないバンドという意味では間違っていないんじゃないか」と考えていました。そんなふうに思いながら活動を続けていましたね。

 

── そうだったんですね。

 

喜矢武さん:僕は大学4年のときに就職活動をしていたんです。でも、最終的には「バンド活動をしている人生のほうが楽しそうだな」と思って就職活動をやめました。

 

ただ、就職活動を経験したことで、「もしあのまま就職していたら味わえなかった人生を、今歩けているな」という感覚があって。だから、バンド活動そのものをひとつの自分の人生として楽しんでいましたね。バンドがダメになったらそのときにまた将来を考えればいいくらいの気持ちでした。

茶封筒に現金を入れて、借金を返済した日

ゴールデンボンバー
ライブ、舞台、ドラマ、映像と幅広いジャンルで活動中の喜矢武さん

── バンド活動を続けて、生活できるようになったのはいつごろですか?

 

喜矢武さん:1年間、毎月連続でワンマンライブをやることになって、動員が徐々に増えていったんです。途中からお給料が出るようになって、数千円くらいですがギャラがもらえるようになりました。生活のたしにはならないんですけど、それまでは0円だったので、初めてお給料をもらったときは本当にうれしかったですね。「何かに使った!」と言える金額ではなかったので、ご飯を食べて普通に消えていきましたが、それでも喜びは大きかったです。

 

── 事務所に所属しておよそ4年後に『女々しくて』が大ブレイクしています。

 

喜矢武さん:運よくテレビをきっかけに広がっていって、ありがたいことに一気に売れていきました。それでまず、所マネージャーに借金を返しました。茶封筒に借りていた金額を入れて、「これでどうだ!!!」と目の前に置いたんです。所マネージャーには「売れてよかったね」と言われました。

 

── よかったですね。

 

喜矢武さん:母にも大学の学費分のお金を渡しました。学費を借りていたわけではなかったのですが、就職をしないでバンドをすると言ったとき、「大学に行かせた意味がない!」と言われていたので。「これでうるさいことは言わせないぞ!」という気持ちでした。ただ全額を一度に返したわけではなく、実家に帰るたびに現金で「これでどうだ!」と返していました(笑)。