2024年に結成20周年を迎えたエアーバンド・ゴールデンボンバー。下積み時代は200円の野菜天丼が贅沢だったと語るエアーギター担当・喜矢武豊さんですが、借金までした極貧生活からこれだけ長く続けてこられたのには理由があって──。
下積み時代の極貧生活。頼みは「肉のハナマサ」

── 大学を卒業後、バンド活動を続けるなかで『女々しくて』がヒットするまでは、大変な下積み生活を送られていたと聞きました。
喜矢武さん:事務所に所属してゴールデンボンバーとして活動はしていたんですが、バンドで得られる収入は0円。収入源はずっとバイト代だけでした。そんな状態なのに、ある日いきなり事務所から「ワンマンライブをやろう!全国47都道府県を回るぞ」と言われて。そのときは、「客もそんなに入らないのに全国を回るなんて、頭おかしいんじゃないか?」と思いましたね(笑)。
当然、全国を回ればバイトはできなくなり、家賃も携帯代も払えなくなりますよね。それで、当時マネージャーだった所さんという方にお金を借りることになりました。

── 所マネージャーは、下積み時代からゴールデンボンバーを支えていた名物マネージャーさんですよね。
喜矢武さん:「母ちゃんと子ども」みたいな関係で、ゴールデンボンバーが売れないときから世話を焼いてもらっていました。でも、お金を借りたものの当時は返すあてはなかったです。
── お金がないときは、どのように生活をされていたのですか?
喜矢武さん:実家へ頻繁に帰っては、お米とお酒を持ち帰っていました。あとは、とにかく安い食材を求めて「肉のハナマサ」に通っていました。セールで安い肉を買いだめして冷凍したり、値段の安い卵をよく買ったりしていましたね。主食は実家から持ち帰ったお米のうえに、炒めた肉と卵をのせた丼ものです。
ちょっと贅沢したい日は、近所の激安スーパーで売っていた「野菜天丼」を食べました。野菜だけの天丼で、当時は1個200円でしたね。それでも当時の僕にとっては贅沢な食事です。あとは、とにかく安い菓子パンをよく食べていましたね。味はどうでもよくて、袋に書かれたカロリーだけを見て購入するんです。いかに安くカロリーがたくさん摂れるかが、当時の最重要ポイントでした。肉のハナマサさんと卵には、本当に助けられていました。