「バンド続ける」に母が放った衝撃的なセリフ

喜矢武豊
ライブやイベントでは、常に体を張って盛り上げる喜矢武さん

── 喜矢武さんは大学卒業後にゴールデンボンバーを結成されています。ご両親の反応はいかがでしたか?

 

喜矢武さん:父は「好きに生きろ」というタイプで、特に何も言わなかったですね。ただ、母は怒っていました。大学まで出たんだから、ちゃんと就職をしてほしかったと。実は就職活動自体はしていて、SEの面接を受けたりもしていたんですよ。

 

── どのタイミングで就職活動を辞めたのですか?

 

喜矢武さん:もともとバンド活動を続けていたので「就職する人生」と「バンドを続ける人生」の2つの選択肢があって迷いました。就職活動を進めるなかで、自分の人生を改めて考えたときに「こっちの人生じゃないな」と思ったんですよね。それで、就職活動を辞めてバンドに専念することにしました。

 

母に「就職活動を辞めてバンド活動をする」と伝えたら、「はあ!!??」と言われました(笑)。さらに「こんな子に育てた覚えはない」とまで言われまして。「こんな子に育てた覚えはない」って、漫画でしか見たことのないセリフですよね。まさか自分が実際に言われるとは、と軽い衝撃でした。

それでも両親はこっそりファンクラブに入り…

ゴールデンボンバー
19歳のときにゴールデンボンバーを結成。2024年に20周年を迎えた

── その後、どうされたんですか?

 

喜矢武さん:大学卒業と同時に実家を出ました。もともと卒業したら家を出るつもりだったので、そのタイミングでひとり暮らしを始めました。とにかく家賃の安い部屋を探し、バイトをしながらバンド活動を続けていました。といっても、当時はバンドでの収入はゼロです。生活費は完全にバイト代だけだったので、苦しくなると実家に帰って、お酒やお米をこっそり持って帰っていました。こっそりのつもりだったんですが、母にはしっかりバレていました(笑)。

 

そのたびに「あんた!こんな生活は3年までだからね!」「いつまでそんな生活続けるの!」と言われていましたね。

 

── お父さんはどのような対応だったのですか?

 

喜矢武さん:父は相変わらず何も言いませんでした。「好きに生きろ」というスタンスのままでしたね。いっぽうで母は口うるさく言い続けていたんですが。でも、知らない間に父と母は2人でゴールデンボンバーのファンクラブに入っていて、こっそりライブに来ていたんです。僕が「ライブがあるよ」と告知したわけでもないのに、自分たちでチケットを取って。ライブ会場で撮った父と母の2ショット写真をメールで送ってきてくれたりもしました。なんだかんだで、ずっと下積み時代から応援してくれていたんですよね。