夫が残してくれた「宝物」

── 1999年には、療養の場を北海道・旭川のリハビリテーション病院へ移されました。どのような経緯があったのでしょうか。

 

イルカさん:夫の状態は徐々に悪化し、お茶碗も満足に持てず、立ち上がるのもやっとな状態。西洋医学から東洋医学まであらゆる治療を試しましたが、病状は悪化するばかりで行き詰まりを感じていました。

 

そんなとき、知り合いを通じて旭川のリハビリ専門病院を紹介され、先生がわざわざ自宅まで様子を見に来てくださったんです。もともと病院嫌いだった夫ですが、「今、カニがおいしい時期だから、北海道に食べに来ませんか?」と誘ってくださり、カニが大好物な夫は「行きます」と即答(笑)。

 

── 旭川での日々は、おふたりにとってどのようなものだったのでしょうか。

 

イルカさん:初めて旭川の病院を訪れたとき、光がパーッと差し込んだような気がしました。若い先生たちがみな元気で、地元の方々もすごく温かい。高齢の方が元気にリハビリをする姿や前向きな先生たちの言葉で、行き詰まっていた夫に「自分にもまだできることがある」という気持ちが芽生えたんです。

 

私は病院の近くにマンションを借り、東京でのレギュラー番組と年間100本のコンサートをこなしながら、空いた時間に旭川へ飛ぶ生活を7年間続けました。旭川では人生初のひとり暮らしも経験し、地域の人々に支えられながら、みんなで温泉に行ったりご飯を食べたりと、楽しい時間もたくさんありました。だから、介護の二拠点生活といっても、つらいという感覚はありませんでしたね。夫も生き生きとした顔でリハビリを頑張っていました。

 

イルカ
2024年のコンサートでの1枚。70代とは思えないほどのかわいらしさ!

── 長く続く介護のなかでは、心が折れそうになる瞬間もあったと思います。そんなとき、どんなふうに気持ちを保っていたのでしょうか。

 

イルカさん:もちろんつらかった場面はたくさんあります。心が折れない日なんて、1日もなかったです。私には彼を治してあげることはできない。どれだけ願ってもどうにもできない無力感はずっとありました。でも、子どもがいましたし、落ち込んでばかりはいられません。夫から引き継いだ事務所の社長としての役割もあり、支えてくれるスタッフやメンバーにも生活があります。だから「頑張るしかない」気持ちで、なんとか乗り越えてきたという感じですね。

 

そんな日々のなかで、夫の病状はゆっくりと進んでいきました。できることが少しずつ減っていくのを見守る時間も増えていきました。2007年、59歳で夫は亡くなりましたが、最後の最後まで自分にできることを一生懸命やって、人間らしく生き生きとした晩年を過ごすことができました。幸せだったと思います。

 

── 20年にわたる闘病生活を共に歩んだ日々。振り返って、どんな思いが浮かびますか。

 

イルカさん:夫は私にいろいろな宝物を遺してくれました。イルカというアーティストを生み、レールを敷いてくれたことはもちろんですが、病気になってからも、私に初めてのひとり暮らしを経験させてくれました。まさか自分が旭川に住むなんて思ってもいなかったけれど、それも夫がつないでくれたご縁。旭川を離れても今も続く友人たちとの温かい関係も、夫が遺してくれた財産です。

 

きっと彼のことだから、自分がいなくなってからも私が困らないように、寂しくないようにと、いろいろと「種」をまいておいてくれていたんじゃないかなって、そんなふうに感じるんです。

 

取材・文:西尾英子 写真:イルカオフィス