ラジオの「バカヤロー」企画で人気者に
── デビューから2年後、『なごり雪』が大きな反響を呼び、一気にスターダムへ駆け上がります。
イルカさん:『なごり雪』がヒットする前は無名で、ステージに出てもお客さんの反応は薄かったんです。世間に認知されたきっかけは、深夜ラジオの『オールナイトニッポン』のDJを務めたことでした。当時、女性のDJといえば落合恵子さんのような上品でおしとやかな語り口が主流。でも私は声が低く、とてもあんなふうにはしゃべれない。そんな私に夫は「真逆でいいじゃないか。イルカらしく、そのまま行け」と背中を押してくれました。
番組のなかで、リスナーの不満を私が代弁する「バカヤローコーナー」という企画があったんです。「お弁当を食べようとしたら全部落としちゃった」というハガキに対して、私が「お弁当のバカヤロー!」と全力で叫ぶ(笑)。それが話題になってハガキが殺到して人気番組になり、私がMCをする『オールナイトニッポン』も2部から1部に昇格(同番組は1部と2部の2部構成)。同時にイルカという名前も知られるようになりました。私にとって大きな転機でしたね。
── ソロデビュー後は、音楽に専念できるよう、神部さんが生活のあらゆる面を支えていたそうですね。当時、イルカさんはおこづかい制だったとか。
イルカさん:結婚後、お金の管理はすべて夫がしていました。私は貯金額を知らないし、通帳も見たことがなかったくらい。もともとぜいたくをするタイプでもなく、物欲もない。暮らしていければ十分という考え方でした。
最初はおこづかいもなかったのですが、夫の誕生日にマフラーをこっそり編もうと思ったら毛糸を買うお金がなくて。そこで、交渉して月5000円のおこづかいをもらうようになりました。『なごり雪』がヒットしてからは、ようやく月1万円にアップ(笑)。でも、必要なものはすべて夫が買ってくれていたので、とくに不自由はなかったですね。「アーティストがお金のことを考えると音楽に集中できなくなる」という夫なりの信念があったようです。
── プロデューサーとして、そして人生の伴侶として、まさに二人三脚で歩んできたおふたりでしたが、神部さんはパーキンソン病との闘病の末、2007年に59歳で旅立たれました。19年がたった今、その存在をどのように感じていらっしゃいますか。
イルカさん:じつは夫が亡くなってからも、どこかそばにいるような感覚がずっとあるんです。仕事で決断を迫られたり、道に迷ったりしたときは「こんなとき、彼だったらなんて言うだろう」と考えます。すると、不思議と答えが出てくるんですね。彼の存在は今も私の中で生き続けていますし、彼が描いてくれた青写真の続きを今も歩ませてもらっているような気がしているんです。
取材・文:西尾英子 写真:イルカオフィス