10万人に1人の病気と言われる先天性疾患の難病「脳動静脈奇形」を患い、現在はインフルエンサーとして難病に関する発信をおこなっている俳優の間瀬翔太さん。後遺症のひとつに「てんかん」があり、33歳で障害者手帳保持者となりました。障害者になり健常者だったころにはわからなかったことを知ったといいます。
思い通りに動かない体にショック

── 間瀬さんは2019年に10万人に1人の病気と言われる先天性疾患の難病「脳動静脈奇形」に罹り、開頭手術を経た現在も後遺症があるそうですね。手術後はどのような様子でしたか?
間瀬さん:突然の頭への激痛で、検査をしたら10万人に1人と言われる脳動静脈奇形という難病が判明しました。さらに、その血管が破裂する確率はわずか2%と言われているのに破裂し出血してしまったんです。手術室に入ったのは朝の9時ですが、目が覚めたのは翌朝7時で、ICU(集中治療室)にいました。術後も脳の中に違和感がずっとあったので「もう一度、頭を開けて確認してほしい。何かある」と言ったのを覚えています。頭痛が出るとは聞いていたけど、すごく痛くて。ひたすら耐えつつ、睡眠薬で無理やり寝かせてもらいました。夜は特に痛かったです。術後、3〜4日が今振り返ってもいちばんつらかったです。
術後数日はトイレもすべて寝ながらでした。3日目あたりで初めて立ち上がりましたが、三半規管がおかしくなっていたのか、立ち上がると吐いてしまうという状態で、「歩けない」ショックは大きかったです。入院してから手術前は起き上がること自体が禁止だったから、起きて自力でトイレに行けるようになることは僕にとって大きな目標でした。でも再出血の可能性があるから無理しないでと言われました。力を入れると出血するかもしれないから日常の動作でも力めない。そういったバランスを考えながらリハビリを頑張りました。
── 退院後はどうされたのですか?
間瀬さん:約1か月の入院で体重が10キロ減りました。なので体力がかなり落ちていて。退院して外の空気を吸うだけでも意外と疲れてしまうし、想像以上に歩けなくなっていました。ひとり暮らしをしていましたが、父がしばらくめんどうを見てくれることになり、実家で一緒に暮らしました。自宅は部屋が2階、トイレが1階だったのですが、上り下りができないため、しばらくは1階で過ごすことにしました。
退院祝いで家族が集まり、寿司を取って食べたんですけど、口が開かなくて軍艦の寿司を横にしないと入らないというのにも気づきました。術後の病院食はすべてみじん切りだったんです。当たり前だったことができず、思い通りにならない体を痛感してショックで。とにかく、脳と身体のバランスが全然合っていなくて驚きました。