漁師から「月3万円で儲かる仕組みを考えて」と

── 漁業の世界へ入ったきっかけは、山口県の萩市で知り合った漁師さんたちとの出会いだったそうですね。 

 

坪内さん:大学でお世話になった教授にお願いして家でできる翻訳の仕事などをしていましたが、経済的には不安定でした。そんなとき、忘年会シーズンの宴会場で仲居さんの助っ人に入ったのですが、そこで後に一緒に事業を立ち上げることになる漁師の長岡と出会ったんです。

 

── その場でどういった話をされたのでしょうか?

 

坪内さん:「翻訳の仕事をしていて、パソコンを使った仕事もできるので、何かあれば声をかえてください」と伝えたところ、後日連絡が来ました。「漁獲高が落ちていて生活が大変だから、なんか儲かる仕組みを考えてくれ」と言われ、月給3万円で事業計画書の作成を引き受けることにしたんです。

 

──「漁業についての事業計画書を書く」というのは、それまでやったことのない仕事ですよね。引き受けることに躊躇しませんでしたか?

 

坪内さん:子どもを抱えて所持金がほとんどなく、失うものもなかったので、「とりあえず書けそうだから書いてみようかな」という感じでした。「できなかったらどうしよう」といった怖さはいっさいなかったですね。本当に強かったと思います。

 

── その後、漁師さんたちが直接消費者に魚を発送する「萩大島船団丸」の事業をスタートさせました。

 

坪内さん:長岡から「わしら、難しいことはようわからん。あんたが団体の代表になってもらえんやろか」というひと言で、私が代表に就任することになりました。ちょうどそのころ、国が6次産業化を推進しはじめていた時期でもあったので、漁師自身が価格をつけて直接売る仕組みが作れないかと考えたんです。

 

ところがこの仕組みづくりには、島民や、所属漁協など関わるたくさんの人たちから想像以上の抵抗がありました。漁師の水揚げした魚を流通させることを生業として生活していた彼らにとって、漁師が自分たちですべてまかなってしまうと生きるすべを失ってしまうからです。すべてを飛ばすつもりは毛頭ありませんでしたが、素人の小娘の言葉ではみんなが不安になっても無理はないと思います。

 

獲れた魚の大半は漁協の市場に回し、自家出荷する分は漁協と仲買人に手数料を支払うかたちをとるなどして、混獲魚に付加価値をつけた利益で、既存流通に迷惑をかけないよう仕組みづくりをクリアするために工夫や交渉を重ねていきました。