漁師が獲った魚をみずから出荷・販売できる仕組みを構築し、全国に広めてきた起業家・坪内知佳さん。23歳で離婚し、4畳半でのどん底生活の日々から、ひょんなことから漁業の世界に。ビジネスが軌道に乗りかけたそのとき、家庭内ではまたひと波瀾が巻き起こって── 。
23歳で離婚、4畳半でどん底のシンママ生活

── 現在は山口県を拠点に、漁業の常識を覆すビジネスを展開されている坪内さん。生産者(1次産業)が食品加工(2次産業)、流通販売(3次産業)までを一貫して手がけ、商品を消費者に直接届ける「6次産業」で画期的な仕組みを考案し、成功しました。もともとはキャビンアテンダント(CA)を目指していらっしゃったそうですね。人生が大きく舵を切るきっかけとなったのは、どんな出来事だったのでしょうか?
坪内さん: 福井県で生まれて、CAを志して名古屋外国語大学へ通いました。ところが19歳のときに「悪性リンパ腫の疑いがある」と医師から言われ、もしそうなら「余命は半年」と告げられたんです。結果的には「EBウィルス」および「化学物質過敏症」だったのですが、免疫疾患の一種なのでその後も微熱が下がらず、味覚や嗅覚も消えるということが長く続いたため、体力勝負のCAになるのは諦めることにしました。
── その後、20歳で結婚、21歳で出産され、23歳のときには離婚されています。
坪内さん:CAの夢がついえたことで「一度すべてをリセットして新しい人生を歩みたい」と思い、山口の萩に住んでいたボーイフレンドと結婚することにしたんです。長男をすぐに授かりましたが、一緒に暮らしてみると彼とは性格が合わず、息子が1歳半のときに家を出ました。
── 当時は専業主婦だったということですが、親子2人の暮らしに当てはあったのでしょうか?
坪内さん:息子を自転車に乗せて着の身着のまま飛び出したという感じでした。以前から貯めていたお金は少し持っていましたが、4畳半一間のアパートを借りて、中古の車を買い、鍋や食器、冷蔵庫という必需品をそろえ、子どものおもちゃを少し買うと、あっという間に貯金は底をつきました。1歳半の子どもを抱えて、お金もなく、実家にも頼れず、定職もない。まさに「すってんてん丸裸」のような状況で、社会的にも経済的にも、かなり厳しい立場にいたと思います。