中華料理屋の油汚れを必死に掃除し続けた結果

城咲仁、加島ちかえ
丸鶴魂を込めて仕事に励むふたり

── 加島さんも住み込みで修業する城咲さんをサポートなさったそうですね。

 

加島さん:はい。自分も無責任なことを言ったきりではいけないと思っていたので、人手不足でお手伝いをお願いされたのをきっかけに、彼が別の仕事で店に出られない日や、忙しそうな日など、ホールの配膳や掃除、レジ打ち、品出しなどの仕事を覚えてお手伝いをするようになり。気づいたら彼の修行期間、私もほとんどお店に立っていました(笑)。自分も動いてないと協力しているとは言えないなと思ったので。

 

最初はお店の掃除からやらせてもらいました。中華料理屋は油で汚れることが多く、そういったしんどい掃除作業を私にやらせたくないと仁さんは思っていたようですが、「いい、いい、私が行くから!」と。週末に私が行くと仁さんも「ひとりではさせられない!」と参加するわけです。そしてふたりで黙々と隅々まで掃除してスっと帰るんです。やっぱり、掃除してきれいになった店内見ると、両親とも気持ちいいなってなるじゃないですか。

 

それに気づいた両親が連絡をくれると「やっといたよ、また何かあったら言ってね」って言って。そういう積み重ねから始めました。そしたら彼もどんどん本腰を入れて鍋が振れるようになり、常連さんもその姿を見てくれていたので「仁さんが本気なんだ」と応援してくれるようになりました。一つひとつに対する思いが実のあるものになったと、仁さん自身も感じることができるようになっていったように思います。本当によかったなと思いました。

 

── 疎遠だったご両親と城咲さんの関係を加島さんが雪解けに導いたのではないでしょうか?

 

加島さん:私の家族がすごく仲がよかったこともあって、やはり家族は仲がいいのがいちばんいいと思うんです。お義父さんと仁さんが仲よくしている様子を見ると、涙が出るくらいうれしいですね。

 

加島ちかえ、城咲仁
ご両親と城咲さんの関係も徐々に変わっていき…

── 城咲さんはその後「丸鶴」のチャーハンを冷凍で流通させるという形でお店の味を残すことにしたそうですね。

 

加島さん:父の味を残したいけど、芸能の仕事も捨てられない、自分が立ち上げた会社もこれからいろいろ挑戦したい。よくばりではあるのですが、両立しながら「どうしてもオヤジの味を残したい」と。それで冷凍チャーハンの流通ということを考え、義父に「案があるけど聞いてもらえませんか」と話をしました。それはもちろん、修業が終わって鍋を振れるようになった後です。

 

とはいえ、私たちも義父は職人なので半端なことは許せない人とわかっていますから、「お義父さんの味なので、ちゃんと業者との会議にもお連れして、納得のいく形になるまでやります。ご教示いただけますか」と。それで商品化することになりました。

 

あの味は丸鶴の本店の味を限りなく再現しています。ちゃんと修業したからこそ妥協が許されないこともわかってますし、お義父さんから応援をもらい、工場も厳選し原料も厳選しました。決して安くはない値段ですが、本店ができなかった「全国に届けることができる」「おうちで丸鶴の味を楽しんでもらう」ということ、義父へのリスペクトを込めた歴史と味を残すことを私たちなりのやり方で実現できました。構想から商品化まで約3年かかっていますけど、それだけ本気に向き合ったので、完成したときは義父も本当にうれしそうでした。

 

義父が引退して店を閉店してからは、地元の板橋区民にて夫婦で丸鶴炒飯を出店したりしています。丸鶴が老若男女に愛される味のお店だったので、ファミリーが集う場所に出ていきたいなと。不定期ではありますが、仁さんとお義父さんと現場で鍋を振って丸鶴の味を広げていきたいなという夢があります。