ラジオ沖縄のアナウンサーとして、地元に根づいた活動をしている竹中知華さん(43)。その活躍は沖縄だけではとどまらず、最近は男性誌のデジタル写真集の出版で話題に。そんな竹中さんの人生の転機となったのは「胸が大きすぎる」ことへの視聴者からのクレームでした。

離婚し実家に戻るも親に内緒で沖縄のアナウンサー試験を受験

── 竹中さんは、念願だったアナウンサーとして青森で就職されましたが、結婚、離婚を経て仕事を退職し、一度地元の広島に戻られたそうですね。

 

竹中知華
アナウンサー人生をスタートさせた青森朝日放送時代の竹中さん

竹中さん:そうです。広島に戻ってから1年くらいは充電期間でした。最初の半年はずっとふさぎこんでいて。母が作ってくれたご飯を食べて何もせずぼんやり…という感じで、親に甘えている状態でした。そうやって半年が過ぎたころ、だんだん「動かなきゃ!」と思えてきて、地元の土産物屋でアルバイトを始めたんです。

 

アルバイトで社会復帰をしたことで、「私、何やっているんだろう。ずっと夢を追いかけていたはずなのに」と徐々に思うように。そこから本来の熱意を取り戻していった気がします。広島に戻って1年経ったころに、再び就職活動を始めました。親は私がまた県外に出ていくことを懸念していたようなので、親に見られないようにこっそりエントリーシートを書いていましたね。

 

── その結果、NHK沖縄にキャスターとして再就職されますが、再びアナウンサー職を選んだ理由はなんだったのでしょうか。

 

竹中さん:広島に戻ってしばらくは鬱々としていましたが、気力が戻っていくなかで「やっぱり話す仕事がしたい」という思いが強くなっていったんです。それで、たまたま募集があったNHK沖縄放送局の採用試験を受けることにしました。実は、沖縄には旅行に出かけたことすらなく、未知の場所でした。でも当時は、またアナウンサーとして働けるならどこでもいいと思っていたし、場所にはこだわりはありませんでした。

 

── 再び実家から出ることは反対されませんでしたか。

 

竹中さん:両親は意外とあっさり受け入れて、快く送り出してくれました。私のことを「好きなことをやると言い出したら聞かない子」だとわかっていただろうし、いい意味で諦めてくれたのだとい思います。

 

── それまで沖縄を訪れたことがなかったそうですが、実際に暮らしてみていかがでしたか。

 

竹中さん:NHK沖縄局の職員は県外から来た人が多いんです。それもあって、最初はどこか観光客気分なところもありました。

 

当時は『おはよう沖縄』という朝の5分間ニュースを担当していました。たった5分なので、聴きやすいスピードで、わかりやすく伝える必要があります。その試行錯誤の経験は、自分のなかですごく勉強になりましたね。