2015年10月13日、車を運転中、センターラインを飛び越えてきた対向車と、正面衝突し、大事故によって右手足を失ったキャロットyoshie.さん。絶望の淵に立たされ、次第に引きこもるようになったそうですが、そこからパラリンピックに出演するまでになれたのは ── 。
交通事故で2年半の入院生活

──キャロットyoshie.(以下、キャロットさん)さんは、娘が2歳のときに離婚。シングルマザーとして娘と3匹の愛犬とともに暮らしながら、美容師とドライバーを掛け持ちして家計を支えていました。しかし、2016年10月13日早朝、車を運転中に対向車がセンターラインを超え、正面衝突する大事故に遭い右手と右足を失うことになりました。
右手は事故で切断され、右足は入院後に壊死のリスクを懸念して切断することに。救急病院、一般病院、リハビリ病院と3か所の病院で入院生活を送り、トータルで2年半の入院生活を経て退院しましたが、自宅での生活はいかがでしたか?
キャロットさん:病院は環境が整っていたのでなんとか動けましたが、自宅に戻ると勝手が違ってかなり苦労しました。退院したときは車椅子に乗っていたんですけど、自宅が狭くて車椅子が室内に入らず、家の中では娘につかまって、左足でケンケンしながら移動していました。入院中に仮の義足は作りましたが、右足の断端(切断した部分)の状態がよくなかったため、義足で生活できるようになったのは退院して2年後くらいだったと思います。
── 事故当時、中学2年生だった娘さんの様子はいかがですか?
キャロットさん: 1日中私の介護に専念してくれたんです。朝、私の体を起こすことから始まって、お風呂やトイレの手伝い、食事など家事全般に3匹の愛犬のお世話もすべてやってくれました。
私がシングルマザーだったこともあって、娘は事故にあう前から、家事や美容院の手伝いもしていて、私が事故にあってから私につきっきりになりました。今でいうヤングケアラーの状態だったと思います。後から考えたら、ヘルパーさんとか外的機関に援助を依頼する方法もあったと思いますが、当時はいろいろ受け入れる精神的余裕や知識がなかったので、お願いすることはなかったです。