「僕は捨てられたのかな」という思いが払拭された出来事
── 施設の中ではミックスルーツであることでの差別を感じるような経験はあったのでしょうか。
矢野さん:入所して1年目くらいは、まったく違う境遇で育った人たちと同じ環境で暮らすことでつらい目にも遭ったし、キツかったです。「おい、黒んぼ」って言われて、「ふざけんな」と思ったこともありました。でも、差別されている感覚とは微妙に違っていて。ずっと一緒にいるからきょうだいや家族に嫌がらせをされているような、冷やかされているような感覚になるんです。
それに、施設で暮らしていくうちに、みんなそれぞれの生い立ちや施設に来た理由などを話すようになって。お互いを知ることで、家族のような絆みたいなものが生まれていったように思います。血のつながりではなく、ずっと一緒にいたから感じられる絆です。
もちろん血のつながりもすごく大事です。でも、それ以上に、一緒にいる時間が長いからこそ絆は生まれてくるんだなと思うようになりました。僕と同じように、施設で育った人たちとは、家族のような存在として自分の中に染み込んでいる感覚が強いです。
── 長く一緒に暮らすことで生まれる絆のようなものがあるのですね。
矢野さん:ところが、施設から一歩外に出ると、僕はすべての人にとって他人になります。外の世界の人々が、僕に与える差別的な目線や言葉は、やっぱり刺さるものだなって感じます。そういう意味では、外の世界の人たちから受ける差別のほうがキツイと僕は思いました。
ただ、僕は、児童養護施設の中で馴染むことができたから、こういうことが言えるんだろうなとも思っていて。施設で一緒に暮らした当時の子どもたちとの環境に慣れるたくましさを身につけることができたから。そうではなく、施設の中でずっといじめられ続ける側になる人もいたわけです。その人にとっては、施設の中は毎日地獄だったでしょうし、そういった状況はなくなってほしいと願わずにはいられません。
── 施設では、職員の方とも長い時間を一緒に過ごしますよね。印象的な出会いはありましたか?
矢野さん:今でも手紙のやりとりを続けている恩師がいます。児童養護施設の職員さんです。その方との出会いは、本当に恵まれていたと思っています。
8歳か9歳のころ、施設内で大きなケンカをして、僕が先生を少し裏切るようなことをしてしまったんです。そのとき、先生が僕をひっぱたいたんですよ。叩いた本人がいちばん驚いていましたが(笑)。そのとき先生は初めて涙を見せて、僕に「デイビット、あなたはそんなことをする人じゃないって私は知ってる」って言うと、職員たちの休憩室に走って行ってしまって。
僕はそれまで、児童養護施設に預けられたことで「僕は親に捨てられたのかな」「もう誰にも気にかけてもらえないのかな」と心の片隅で思っていました。たぶん、そんな思いが行動にも表れていたんだと思います。その自分に対して、本気で向き合ってくれた先生が僕を叩いてしまって、驚いて泣いてしまった。先生のそんな姿を見て、「叩かれるよりも痛いことってあるんだ」と心が痛むような体験をしました。同時に、「僕は親とは一緒に暮らせていないけれど、僕と本気で向き合って、気にかけてる人が自分のまわりにはいるんだ」と思えたことは救いでした。
取材・文/高梨真紀 写真提供/矢野デイビット