いまや筋肉芸人の代表格でもある、マヂカルラブリーの野田クリスタルさん。筋肉を鍛える以前、もう12年前からゲーム開発を行っていました。しかもすべて独学。失敗の数々が楽しく、お笑いにも共通する部分があるといいます。

幼稚園に行く前の30分間のゲームが至福だった

── お笑いコンビ・マヂカルラブリーとして活動するかたわら、みずから企画・開発したゲームを次々と世に送り出している野田クリスタルさん。いまや「芸人×ゲームクリエイター」という異色の肩書きでも注目を集めています。その原点はどこにあるのでしょう。

 

野田さん:幼稚園のころですね。兄が2人いたこともあり、家にはゲーム機がありました。僕は1986年生まれなので、ちょうどゲームが進化していく時代をリアルタイムで体験してきました。幼稚園のころに初めてプレイしたのが『ファイナルファンタジーⅢ』。登園前の30分だけやらせてもらっていましたね。

 

── 遊ぶだけでなく、作ることにも興味を持ちはじめたのはいつごろからですか?

 

野田さん:ゲーム制作を始めたのは2013年くらいですが、似たような創作は子どものころからですね。どういうことかというと、1円玉や100円玉を寝かせてセロハンテープでつまようじを垂直に硬貨にくっつけ、それをキャラクターに見立てて、なんらかの物語を勝手に作って冒険する、いわゆるRPG(ロールプレイングゲーム)みたいな世界を想像して遊んでいたんです。つまようじが剣の役割で100円玉がボス的な存在。おもちゃが少ない時代だったので家にあるもので工夫していました。

 

── すでにクリエイターの片鱗が。子どものころから発想力が豊かだったんですね。

 

野田さん:というより、ただの妄想癖ですね(笑)。「こうしたらもっとおもしろい」「自分ならこう作る」と頭の中で物語を広げていました。いま思えば、その妄想がずっと続いている感じですね。

 

── 実際にゲーム制作に踏み出したのは2013年ごろ、すでに芸人としての活動していた時期です。なぜ急にジャンルの違う世界に挑戦することに?

 

野田さん:お笑いライブで「特技を披露する」というコーナーがあったんですが、そこで僕が自作のゲームを持っていったらおもしろいんじゃないか?と思ったんです。いまでいうスライドショーみたいなレベルのもので、簡単な画面切り替えや動きをつけただけのかなりお粗末なPCゲームでしたが、会場が盛り上がって、その反応がうれしくて本格的に取り組むようになりました。