浅草で観光人力車を運営する「東京力車」の西尾竜太さん。人気ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』でも話題の企業です。創業6年で年商4億円。数字からは順風満帆に見えますが、そのスタートは人力車の差し押さえ&営業停止という過酷なものでした。絶望的な逆境を乗り越えられた理由は?鍵はコスパでない観光体験だといいます。

借金返済に追われるなかで出合った「人力車」

── 西尾さんは浅草を拠点に観光人力車「東京力車」を運営されています。2019年、西尾さんが38歳のときに創業して以来、わずか6年で年商は4億円に。これまで順風満帆な道のりだったのではないでしょうか。

 

西尾さん:とんでもないです。山あり谷ありでしたね。そもそも会社がスタートした時点で、自由に使える人力車が1台もありませんでした。すべて国税局に差し押さえられていたんです。

 

── 差し押さえですか?想像もつかないスタートです…。順を追って伺ったほうがいいかもしれません。そもそも西尾さんが人力車の世界に入られたきっかけは何だったのでしょうか。

 

西尾さん:27歳のとき、アルバイト情報誌で俥夫(しゃふ)募集の記事を見つけ、「ちょっと楽しそうだな」と応募したのがきっかけです。当時はギャンブルで600万円の借金があってバイトを複数かけ持ちして返済するなか、軽い気持ちで始めましたが、「なんてすばらしい仕事なんだろう」と惹かれました。たとえば、東京に旅行に来たお客さまは、さまざまな観光地を回っている方がほとんど。「今回の旅行で、人力車に乗って観光したのがいちばん楽しかった!」と笑顔で言ってくださると、本当にうれしいです。

 

そのお客さまにとって人力車に乗った経験は、かけがえのない思い出として心に残るはず。お客さまも自分自身も満たされた思いになれるとは、なんてすばらしいことだろうと、どんどん夢中になっていきました。

 

次第に仕事の奥深さにも気づくように。俥夫はただ「人力車を走らせればいい」わけではありません。道路交通法を理解し、安全に車道を走れなければならない。また、お客さまの要望に応えるため、近隣の観光地、飲食店、名所をすべて把握する必要があります。覚えることが山ほどありました。人力車に全力投球しようと決め、ほかのバイトは辞めました。

 

リピーターも多く、たくさんの人から支持されている東京力車

お客さまに喜んでいただけるよう、朝6時半から浅草中を歩き回って街の隅々まで理解し、誰よりも遅くまで働く毎日でした。仕事が終わったら、ほかの会社の人力車の後ろにくっついて歩き、どんな観光案内をしているか、こっそり聞いたりもしていたんです。仕事ぶりをだんだんと評価していただき、アルバイトから正社員となり、人員育成も任されることになったんです。