クリスマスと言えば…必ず挙がる名曲『サイレント・イヴ』。35年前の発売当時は、まだバブルが続いていた華やかな時代。ハッピーなクリスマスソングが多かったなかで、辛島美登里さんが歌詞に込めたある思いとは── 。(全3回中の3回)
不倫をしていた友人の言葉が作詞のヒントに

── 1990年に発表された『サイレント・イヴ』は、発売から約35年経った今もなお、たくさんの方に愛される名曲です。バブルの終わりかけのころに曲を作ったそうですが、辛島さんから見て、当時のクリスマスはどんなふうに見えましたか?
辛島さん:まだバブルの名残があって、今以上にきらびやかで派手でした。男性が女性を誘うために高いホテルを予約したり、奮発して指輪を用意したりと熱心でしたし、女性もおしゃれをしてフランス料理のコースが食べたいとか、机の上に運ばれた料理に銀の蓋がしてあって、バーンと開けると合鴨のポワレが出てきてワァって喜ぶような、豪華なものに憧れる時代だったと思います。
私はもともと派手なタイプではなかったんですけど、それでもバブルのころはみんなと同じようにブランドのバックを買ってみるとか、仕事の打ち上げでいいワインをごちそうになることはありました。
── そんな華やかな時代のなかで、どんな背景で『サイレント・イヴ』を作詞・作曲されましたか?
辛島さん:私は故郷、鹿児島から奈良の大学に進み、その後、音楽活動をするために地元・鹿児島から上京しましたが、親との約束で、仕事で芽が出なかったら、2年で地元に帰ることになっていたんです。でも、曲を書いても書いても全く採用されることはなく、2年の猶予期限が過ぎようとしていて、どうしたらいいのかと思っていた時期でした。
ある日、渋谷のハチ公の銅像の前で友達と待ち合わせをしていると、サラサラと粉雪が降ってきたんです。スクランブル交差点の信号が青になって、みんなが一斉に横断歩道を渡りはじめる様子を見ながら、あぁ、粉雪は男の人にも女の人にも、おじいちゃん、おばあちゃんにも子どもにもみんな平等に降り注ぐんだなぁ。いつか、私にも真っ白な雪が降りますように、と思った瞬間があったんです。
あと、当時不倫していた友達がいたんですけど。その子が「いちばんツラいのは盆と正月なんだ。いちばん誰かと一緒にいたいときにいてくれない」と言っていて。たしかに、クリスマスに好きな人とイルミネーションを見に行くとか、友達が集まってホームパーティする人もたくさんいるけど、そんな人ばかりじゃないよね。ひとりでひっそり過ごしている人や、寂しい思いをしている人もいるはず。みんながみんな、ハッピーじゃないと思ったんですね。そんなときに生まれたのが『サイレント・イヴ』です。当時はハッピーなクリスマスソングが多かったので、そうではない曲を書きたいと思って作りました。
── 名曲『サイレント・イヴ』は発売から35年が経ちます。当時と今、歌っているときの気持ちの変化はありますか?
辛島さん:ありますね。失恋や不倫など、女性のせつなさを考えて作った曲なので、以前は自分を振った男性とか、寂しい思いをさせる相手に対してとがめるような気持ちも込めて歌っていた部分がありました。でも、今はそうではなくて。歌詞の最後に♪もう一度 私の夢をつかむまで♪とあるのですが、誰かを責めるというよりも、みんなでもう一回一緒に夢を見ようね、というような気持ちで歌うようになってきました。
当時と変わらない気持ちもあります。歌詞の冒頭は♪真っ白な粉雪♪から始まるのですが、いくつになっても汚れない、真っ白な気持ちってみなさんあると思うんです。私も、今の自分はそうした気持ちを持っているかな、と初心に戻るような気持ちで歌っています。